生田敬太郎

生田敬太郎

プレイヤー

メッセージ

1971年、「この暗い時期にも」デビュー。当初目指していたのがスワンプ・ロッカー、トニー・ジョー・ホワイトというから、凡百のフォーク・シンガーとの違いを見せていた。
1972年、三保敬太郎プロデュースのセカンドアルバム「24+37」をリリース。
1974年、「風の架け橋」でそのソウルフルなスタイルが完成を見せる。
細野晴臣、林立夫、チャー、金子マリ、成瀬喜博という超豪華なゲスト陣を迎え、情熱的な歌声とクールな視点を同居させた生田流のファンキー・ロックを創出。池袋のウイルソン・ピケット?20年早かったジャパニーズ・レア・グルーヴとも称される。
1975年、テイチクレコードより「凱旋」、初のシングル『夢は戻り続く』をリリース。
当時、子供向けTV番組「ひらけ!ポンキッキ」で『およげ!たいやきくん』を歌い、人気上昇。そのためレコード化へ。ところが所属レコード会社が異なるとの問題で、レコードには子門真人を起用。
1976年、なぎら健壱が友人たちを集めてレコーディングしたライヴアルバムに、タモリ、友部正人、高田渡、斉藤哲夫、渡辺勝、大塚まさじらと参加。
金子マリ&バックス・バーニー,坪田直子,池田典代,桑江知子らへ楽曲提供。
RCサクセションに仲井戸麗市と共に参加。生田敬太郎脱退後、RCは大ブレイク。
1980年、東京キッドブラザースの音楽監督を務める。最近では、斎藤哲夫とアルバムを制作したり、元ピチカート・ファイヴの高浪敬太郎とライヴを行ったりと、ベテラン、若手に拘らないコラボレート活動に注目が集まる。

2008年、完全復活!33年ぶり渾身のオリジナルアルバム「息吹」を発表。

MySpace URL:
http://www.myspace.com/ikutakeitaro

スタッツ

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