Suns Owl [サンズ・オウル]
東京
Hardcore / Metal / Metalcore
MZM [Vo], SAB [Go], GO [Dr], NO-RE [Pro], Bitch [Ba]
●94年、SAB(G)とGO(Dr)が出会い前身となるバンドを結成。翌、95年MZM(Vo)が加入。バンド名をSUNS OWLと変更し、本格的に活動を始める。96年に前べーシスト加入。
● 佐賀でコークヘッド・ヒップスターズと出会い、彼等を通しGMFと知り合うことによりGMF主宰のレーベル「BLOOD IN, BLOOD OUT 」から単独作リリースのチャンスを取得後、1998年8月、1stアルバム『SCREAMING THE FIVE SENSES』を発表。ライブを目の当たりにした方なら判るであろうパワフルかつメタリックな重いグルーヴとエッジの利いたギターが余すところなく収録されている。
●1999年9月にはシングル『OVER』を発表、全国ツアーを敢行する。2000年5月、ベーシストのメンバーチェンジを行う。
● 「飽くなきモダンヘヴィネスの追求」「精力的なライブ活動」「メンバーチェンジ」etcノ極めたが故にここまでの年月を要した。ラウドミュージックのすべてが集約された究極の「激重」「激昂」「音速」「最強」のマスターピース!『RECHARGED』を2001年5月にリリース。
●MAD BALL,V.O.D,SYSTEM OF A DOWN,MERAUDER,SNAPCASE,VADERといった海外アーティストの来日公演をサポートしてきた歴史もうまく彼等のサウンドに消化されている。
●2001年8月には横浜アリーナで行われた、日本初の轟音フェスティバル「Beast Feast 2001」にも参戦、話題の核となる。音楽雑誌ではSLAYER,SEPULTURAの超大物海外アーティストとの対談も実現。
●2002 年に入り、精力的にライブをしつつ迎えた「BEAST FEAST 2002」の投票による選出に名を列ね、堂々1位で予選を通過!「WAY OF BEAST FEAST 2002」に参加。そこで行われたファン投票でも堂々1位を取得し「BEAST FEAST 2002」の参加を確実なものとする。
●国内での度重なるツアーやオムニバスへの参加、オリジナル作品のリリースを経て彼等は海外への進出をはかる。2002年8月、初の海外リリースとな『RECHARGED』のオーストラリア盤を発表。ボーナス・トラックとして『SCREAMING THE FIVE SENSES』より"DEATH MOSH HIGHWAY"を『OVER』より"ZOMBIE"を収録。世界的に有名なメタル雑誌『ケラング』誌、各都市のストリート・ペーパーに取り上げられオーストラリア最大のラジオ局『JJJ』でも好意的にオンエアーされた。
●オーストラリア・リリースを経て、同年9月から10月にかけてオーストラリア8都市11公演をほぼソールド・アウトで終了。各公演都市会場では、盛大なる拍手を持って迎えられる。
●2003 年1月には、先述のオーストラリアでのライブを収録した初のライブ・アルバムである『DEAD ANIMAL~LIVE IN AUSTRALIA CHAOS TOUR 2002~』をリリース。このアルバムでは、メンバー自身が尊敬してやまないスレイヤーのカバー曲『RAINNING BLOOD』を収録。日本一の轟音とともに、世界に孤高の戦いを挑んだ軌跡となる作品である。
● オーストラリア公演終了後、帰国。この頃より、3rd.アルバム制作の為、曲作りを見越しライブ公演の回数を絞って行った。そして迎えた2002年12月 15日『BEAST FEAST2002』。4曲のみのセットであったが、圧倒的な存在感を見せつけ、ファン投票で1位で予選を勝ち抜いた理由を見せた。
『BEAST FEAST 2002』の前後から、体調の悪さを訴えていたBassのSATOOが通院するも体調は戻らず、年末年始に休養を取る事で納得しつつ年末を迎える。
● 年が明けてもなかなかSATOOの微熱はとれず、2003年1月18日の千葉LOOKでのライブをこなし、大きな病院での検査をすることに。そして、検査結果を聞くと同時に入院が決定。SUNS OWLは、サポート・メンバーを入れてライブをこなすという道もあったが、回復を待つ事にする。
●当初、早い回復が望まれたが、長期化。彼を励ます意味も含め、2003年6月6日に彼を盛り上げる公演“SATOO THE EARTH”をSUNS OWL自らが知り合いの力を借り企画。
●彼は『回復を待ち、再びステージに戻ってくる事を期待する』という皆の気持ちに答えていこうとした。上下する病状に立ち向かいつつ、彼は最後まで希望を持ち続けていった
●Drum のGOはその間にも活動を続行。言わずと知れた日本を代表するバンド"LOUDNESS"のギタリストである高崎晃氏とのバンドにてスーパープレイを披露。MI JAPANの講師やSTAB BLUEにて活躍。メンバーそれぞれもサイドプロジェクトとして音楽活動を続けていた。
●2004年2月24日、1年1ヶ月の過酷な闘病生活の末、全国各地のSATOOファン、SUNS OWLファンから回復を望まれたが永眠。
●2004 年8月12日には川崎CLUB CITTAにて追悼のイベント"LAST OF SATOO THE EARTH"を開催。彼の回復を心待ちにし、彼とともに日本のラウドシーンを支えてきた親友、アーティスト、ファンに見送らた。しかしそれは新たなる SUNS OWLのスタートも意味する。
● 幾多の障害を乗り越え、2005年、アメリカはオースティンで開かれる音楽コンベンション『SXSW』で完全復活を遂げたSUNS OWLが遂に完成させた!前作同様、攻撃力と破壊力を武器にキャッチーさを盾として、重武装の楽曲で攻めまくる。新メンバーにベースのMOMO、プログラマーにNO-REを迎え新機軸を打ち出した。それは、カバー楽曲に選んだアーティストがProngであり、選んだ楽曲が96年の『Rude Awakening』の" Controller "である事に如実に表れている。『Liefe』は、SUNS OWLの最新作でありベスト・アルバムだ!
今作を支えるのは、Haitとのスプリット『Horn Of The Rising Sun』より引き続き、Boredomsのエンジニアとして知られる原浩一氏。ジャケットは、前作に引き続きMaster Low, Husking Bee, Brahman等のアート・ワークで知られるSeven Stars Design!!
● 佐賀でコークヘッド・ヒップスターズと出会い、彼等を通しGMFと知り合うことによりGMF主宰のレーベル「BLOOD IN, BLOOD OUT 」から単独作リリースのチャンスを取得後、1998年8月、1stアルバム『SCREAMING THE FIVE SENSES』を発表。ライブを目の当たりにした方なら判るであろうパワフルかつメタリックな重いグルーヴとエッジの利いたギターが余すところなく収録されている。
●1999年9月にはシングル『OVER』を発表、全国ツアーを敢行する。2000年5月、ベーシストのメンバーチェンジを行う。
● 「飽くなきモダンヘヴィネスの追求」「精力的なライブ活動」「メンバーチェンジ」etcノ極めたが故にここまでの年月を要した。ラウドミュージックのすべてが集約された究極の「激重」「激昂」「音速」「最強」のマスターピース!『RECHARGED』を2001年5月にリリース。
●MAD BALL,V.O.D,SYSTEM OF A DOWN,MERAUDER,SNAPCASE,VADERといった海外アーティストの来日公演をサポートしてきた歴史もうまく彼等のサウンドに消化されている。
●2001年8月には横浜アリーナで行われた、日本初の轟音フェスティバル「Beast Feast 2001」にも参戦、話題の核となる。音楽雑誌ではSLAYER,SEPULTURAの超大物海外アーティストとの対談も実現。
●2002 年に入り、精力的にライブをしつつ迎えた「BEAST FEAST 2002」の投票による選出に名を列ね、堂々1位で予選を通過!「WAY OF BEAST FEAST 2002」に参加。そこで行われたファン投票でも堂々1位を取得し「BEAST FEAST 2002」の参加を確実なものとする。
●国内での度重なるツアーやオムニバスへの参加、オリジナル作品のリリースを経て彼等は海外への進出をはかる。2002年8月、初の海外リリースとな『RECHARGED』のオーストラリア盤を発表。ボーナス・トラックとして『SCREAMING THE FIVE SENSES』より"DEATH MOSH HIGHWAY"を『OVER』より"ZOMBIE"を収録。世界的に有名なメタル雑誌『ケラング』誌、各都市のストリート・ペーパーに取り上げられオーストラリア最大のラジオ局『JJJ』でも好意的にオンエアーされた。
●オーストラリア・リリースを経て、同年9月から10月にかけてオーストラリア8都市11公演をほぼソールド・アウトで終了。各公演都市会場では、盛大なる拍手を持って迎えられる。
●2003 年1月には、先述のオーストラリアでのライブを収録した初のライブ・アルバムである『DEAD ANIMAL~LIVE IN AUSTRALIA CHAOS TOUR 2002~』をリリース。このアルバムでは、メンバー自身が尊敬してやまないスレイヤーのカバー曲『RAINNING BLOOD』を収録。日本一の轟音とともに、世界に孤高の戦いを挑んだ軌跡となる作品である。
● オーストラリア公演終了後、帰国。この頃より、3rd.アルバム制作の為、曲作りを見越しライブ公演の回数を絞って行った。そして迎えた2002年12月 15日『BEAST FEAST2002』。4曲のみのセットであったが、圧倒的な存在感を見せつけ、ファン投票で1位で予選を勝ち抜いた理由を見せた。
『BEAST FEAST 2002』の前後から、体調の悪さを訴えていたBassのSATOOが通院するも体調は戻らず、年末年始に休養を取る事で納得しつつ年末を迎える。
● 年が明けてもなかなかSATOOの微熱はとれず、2003年1月18日の千葉LOOKでのライブをこなし、大きな病院での検査をすることに。そして、検査結果を聞くと同時に入院が決定。SUNS OWLは、サポート・メンバーを入れてライブをこなすという道もあったが、回復を待つ事にする。
●当初、早い回復が望まれたが、長期化。彼を励ます意味も含め、2003年6月6日に彼を盛り上げる公演“SATOO THE EARTH”をSUNS OWL自らが知り合いの力を借り企画。
●彼は『回復を待ち、再びステージに戻ってくる事を期待する』という皆の気持ちに答えていこうとした。上下する病状に立ち向かいつつ、彼は最後まで希望を持ち続けていった
●Drum のGOはその間にも活動を続行。言わずと知れた日本を代表するバンド"LOUDNESS"のギタリストである高崎晃氏とのバンドにてスーパープレイを披露。MI JAPANの講師やSTAB BLUEにて活躍。メンバーそれぞれもサイドプロジェクトとして音楽活動を続けていた。
●2004年2月24日、1年1ヶ月の過酷な闘病生活の末、全国各地のSATOOファン、SUNS OWLファンから回復を望まれたが永眠。
●2004 年8月12日には川崎CLUB CITTAにて追悼のイベント"LAST OF SATOO THE EARTH"を開催。彼の回復を心待ちにし、彼とともに日本のラウドシーンを支えてきた親友、アーティスト、ファンに見送らた。しかしそれは新たなる SUNS OWLのスタートも意味する。
● 幾多の障害を乗り越え、2005年、アメリカはオースティンで開かれる音楽コンベンション『SXSW』で完全復活を遂げたSUNS OWLが遂に完成させた!前作同様、攻撃力と破壊力を武器にキャッチーさを盾として、重武装の楽曲で攻めまくる。新メンバーにベースのMOMO、プログラマーにNO-REを迎え新機軸を打ち出した。それは、カバー楽曲に選んだアーティストがProngであり、選んだ楽曲が96年の『Rude Awakening』の" Controller "である事に如実に表れている。『Liefe』は、SUNS OWLの最新作でありベスト・アルバムだ!
今作を支えるのは、Haitとのスプリット『Horn Of The Rising Sun』より引き続き、Boredomsのエンジニアとして知られる原浩一氏。ジャケットは、前作に引き続きMaster Low, Husking Bee, Brahman等のアート・ワークで知られるSeven Stars Design!!