nuno
千葉
Rock
イカサタ、V.S.O.G.、MA"J.B"ME、倍屁
1982年4月 イカサタ生まれてきた。ひどい難産の末に無事生まれてきた。
ちなみに母親は手術中泣きながらしきりに「消さないで。」と言っていたそうだ。
1982年5月 MA"J.B"ME生まれてきた。ウコンと一緒に無事生まれてきた。
ちなみに母親はトイレでしきりに「何も考えないでいると自然と心が休まるわ。」と言っていたそうだ。
1982年7月 V.S.O.G生まれてきた。おばあちゃんの死と同時に無事生まれてきた。
身内の間では「奇跡とは実に不思議だわ、こういうコを神様は見捨てないわよ、およよ 1982年7月。」と言っていたそうだ。
1983年2月29日 B☆Hs生まれてきた。ニクの日に突如陣痛が始まり、悲痛な叫び声とともに生まれてきた。
知人の話しによると「始めはタマゴかと思ったんだ。それが見る見るうちに手、足が生えてくるじゃないか。おどろいたねえ。
最後にメガネも生えてきたのさ、およよ。」と言っていたそうだ。
時は流れて・・・
2001年春 イカサタ、バイトを始める。偶然にもそのバイトには、B☆Hs、MA"J.B"MEの2人がいた。
ちなみにそのころ3人に会話は全く無かったそうな。
2001年夏 MA"J.B"ME、B☆Hsとサマーソニック01に行く。この頃から3人の絆は急速に深まる。
2001年冬 「こんな平凡じみた生活は嫌だ。」そう同時に思ったMA"J.B"ME、B☆Hsは当時既にバンドを組んでいたイカサタを誘ってスタジオへ。
この頃バンド名を「ザ・尿道」とし、ライブ定番曲「血尿フィーバー」をすでにプレイ。
以降メンバーの加入、脱退を繰り返し元の3ピースに戻る。
2002年春 ホーンセクション部隊が加わり15人の大所帯となる。バンド名を「おてふき」に改名。
2002年晩春 バンド名を「おてもやん」に変更。しかしバンド間のいざこざは解消できず。
イカサタバンド名を「ピンチ、パンツdeGO!」に改名しようとするがメンバーに反対される。
2002年夏 元の3ピースバンドに戻り名前を現在の「NUNO」とする。「NUNO」としたとたんすべてがうまく回り、名曲「ララバイ」が誕生。
このころ生まれた曲は他に「やめてよし子」「奥さん」「きよしこのよる」「轢いたら出てきた」「あれでしょ??」「ちなみに・・・春」
「叱咤激励」などがある。いずれもボツに .。
2002年秋 イカサタ「NUNO」で本格的にやってみるかと思い始める。
ちなみに母親は「あなたの人生なんだから、私がどうこう言うことはないわ。」と言ったように聞こえた。
2003年4月 深夜練1発録り、約4時間で1stアルバムのレコーディングを終える。
2003年4月9日 1st Album「NUNO」リリース。
が評価は辛辣なものが多く、現実の厳しさを知る。
2003年5月 1st Album「NUNO」廃盤。
2003年6月 NUNOの1stに興奮した少年がいた。名前をV.S.O.Gという。この頃ちょくちょくV.S.O.Gとスタジオに入るようになる。
2003年夏① NUNOフルメンバー(当時)の6人でサマーソニック03に行く。V.S.O.GとB☆Hs初顔合わせ。
2人は一瞬即発のムードだったが、トリのRADIOHEADの「creep」にてイカサタ花火を打ち上げる。
それはそれは美しく2人は手を取り合い涙する。これにより2人の絆は深まる。
2003年夏② ネコ加入。B☆Hsキーボードを始める。MA"J.B"ME、貯蓄が3億を突破。イカサタ、綺麗な蝶になる。
2003年夏③ 新NUNOで合宿へ。この合宿で4人は意見がかみ合わずバラバラに。NUNO解散・・・。
2003年初秋 4人が4人共に「NUNOでもう一度」と思い再結成。すべてが動き始めた。
2003年秋 新編成NUNO本格始動!2NDアルバムのレコーディング開始。「ダンスナンバー」を中心に約20曲近くを録る。
このころ録った曲でアルバムに入らなかった曲は「大和なでしこ7変化」「脳みそプルプル」「プリンが食いたいけど・・・」
「冷蔵庫にあるよ」「5体満足に動きます・・・やったね!」「鼻の中」「うん」「ぽぺっぺ」「ピンチ、パンツ、GO!」「ティッシュdeポン」
などがある。いずれもボツに。
2003年11月11日 「NUNO」2NDアルバム「パパパーヤ」リリース!!!
2003年12月 イカサタ、B☆Hs、V.S.O.G、MA"J.B"ME同時に死去。21歳だった。塩酸をシャワーだと思ってがむしゃらに浴びたのが原因のようだ。
はたしてNUNOはもう終わりなのか?それとも再結成??どうなの?ねえどうなの?ねえねえ?ん?おえ?ぽ?よお!
ちなみに母親は手術中泣きながらしきりに「消さないで。」と言っていたそうだ。
1982年5月 MA"J.B"ME生まれてきた。ウコンと一緒に無事生まれてきた。
ちなみに母親はトイレでしきりに「何も考えないでいると自然と心が休まるわ。」と言っていたそうだ。
1982年7月 V.S.O.G生まれてきた。おばあちゃんの死と同時に無事生まれてきた。
身内の間では「奇跡とは実に不思議だわ、こういうコを神様は見捨てないわよ、およよ 1982年7月。」と言っていたそうだ。
1983年2月29日 B☆Hs生まれてきた。ニクの日に突如陣痛が始まり、悲痛な叫び声とともに生まれてきた。
知人の話しによると「始めはタマゴかと思ったんだ。それが見る見るうちに手、足が生えてくるじゃないか。おどろいたねえ。
最後にメガネも生えてきたのさ、およよ。」と言っていたそうだ。
時は流れて・・・
2001年春 イカサタ、バイトを始める。偶然にもそのバイトには、B☆Hs、MA"J.B"MEの2人がいた。
ちなみにそのころ3人に会話は全く無かったそうな。
2001年夏 MA"J.B"ME、B☆Hsとサマーソニック01に行く。この頃から3人の絆は急速に深まる。
2001年冬 「こんな平凡じみた生活は嫌だ。」そう同時に思ったMA"J.B"ME、B☆Hsは当時既にバンドを組んでいたイカサタを誘ってスタジオへ。
この頃バンド名を「ザ・尿道」とし、ライブ定番曲「血尿フィーバー」をすでにプレイ。
以降メンバーの加入、脱退を繰り返し元の3ピースに戻る。
2002年春 ホーンセクション部隊が加わり15人の大所帯となる。バンド名を「おてふき」に改名。
2002年晩春 バンド名を「おてもやん」に変更。しかしバンド間のいざこざは解消できず。
イカサタバンド名を「ピンチ、パンツdeGO!」に改名しようとするがメンバーに反対される。
2002年夏 元の3ピースバンドに戻り名前を現在の「NUNO」とする。「NUNO」としたとたんすべてがうまく回り、名曲「ララバイ」が誕生。
このころ生まれた曲は他に「やめてよし子」「奥さん」「きよしこのよる」「轢いたら出てきた」「あれでしょ??」「ちなみに・・・春」
「叱咤激励」などがある。いずれもボツに .。
2002年秋 イカサタ「NUNO」で本格的にやってみるかと思い始める。
ちなみに母親は「あなたの人生なんだから、私がどうこう言うことはないわ。」と言ったように聞こえた。
2003年4月 深夜練1発録り、約4時間で1stアルバムのレコーディングを終える。
2003年4月9日 1st Album「NUNO」リリース。
が評価は辛辣なものが多く、現実の厳しさを知る。
2003年5月 1st Album「NUNO」廃盤。
2003年6月 NUNOの1stに興奮した少年がいた。名前をV.S.O.Gという。この頃ちょくちょくV.S.O.Gとスタジオに入るようになる。
2003年夏① NUNOフルメンバー(当時)の6人でサマーソニック03に行く。V.S.O.GとB☆Hs初顔合わせ。
2人は一瞬即発のムードだったが、トリのRADIOHEADの「creep」にてイカサタ花火を打ち上げる。
それはそれは美しく2人は手を取り合い涙する。これにより2人の絆は深まる。
2003年夏② ネコ加入。B☆Hsキーボードを始める。MA"J.B"ME、貯蓄が3億を突破。イカサタ、綺麗な蝶になる。
2003年夏③ 新NUNOで合宿へ。この合宿で4人は意見がかみ合わずバラバラに。NUNO解散・・・。
2003年初秋 4人が4人共に「NUNOでもう一度」と思い再結成。すべてが動き始めた。
2003年秋 新編成NUNO本格始動!2NDアルバムのレコーディング開始。「ダンスナンバー」を中心に約20曲近くを録る。
このころ録った曲でアルバムに入らなかった曲は「大和なでしこ7変化」「脳みそプルプル」「プリンが食いたいけど・・・」
「冷蔵庫にあるよ」「5体満足に動きます・・・やったね!」「鼻の中」「うん」「ぽぺっぺ」「ピンチ、パンツ、GO!」「ティッシュdeポン」
などがある。いずれもボツに。
2003年11月11日 「NUNO」2NDアルバム「パパパーヤ」リリース!!!
2003年12月 イカサタ、B☆Hs、V.S.O.G、MA"J.B"ME同時に死去。21歳だった。塩酸をシャワーだと思ってがむしゃらに浴びたのが原因のようだ。
はたしてNUNOはもう終わりなのか?それとも再結成??どうなの?ねえどうなの?ねえねえ?ん?おえ?ぽ?よお!