プロフィール
KENZO83
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東京
Acoustic / Emo / Folk
八幡賢三(Gr)
小学6年の時に、兄が持っていたMEGADETHの「Countdown To Extinction」に衝撃を受け、邦楽から洋楽へ音楽の趣味が移り音楽を真剣に聴き始める当時はHelloween , Blind Guardian , Gamma Ray , Megadethというような、スラッシュメタルやジャーマンメタルを好んで聴いていた中学に上がると、バスケット部を退部し、兄の持っていたエレキギターを初めて手に取りビートルズなどのワンフレーズを教えてもらうなどし、徐々に、ギターの魅力に取り付かれていった。中学1一年の後半に、父に頼み御茶ノ水にある下倉楽器にて初めてエレキギターを買ってもらった。その後は、憧れのカイハンセン目指し日々ギターを練習する。この頃に、生まれて始めてのライブを兄と(旧:川崎クラブチッタ)にSoul Asylumを見に行った

中学2年になると、ほとんど邦楽は聴かず洋楽の魅力にどっぷりつかってしまった。この当時に深夜番組でやっていたビートUKなどで海外の音楽情報などをゲットし、お気に入りのアーティストがいたら御茶ノ水の地下にあった,ディスクユニオンの中古コナーなどでCDを買いあさった聴く音楽のジャンルもメタルだけに留まらず、US RockやUK Rockにも手を伸ばしてゆく、この時期によく聴いていたのが、ボンジョヴィ、ヴァンヘレン、ガンズ、MR.BIG、エクストリーム、チープトリック、デフレパートであった。

中学3年の終わりに進学塾エッセンスのお別れ会の際に、幼なじみでもある長谷川、犬飼、渡辺とバンドを組んだのがきっかけでMANBONEが結成された。高校にあがると、地元の平井にあった『スタジオM』に入り初のオリジナルソングとなる「Manbone プチョワムキ」を完成させたその後、コピーバンドとしてManboneは、地元を中心に活動し始める。

大学時代は、、メンバーの脱退などがあり、バンドとしての活動が不可能になってしまったしかし、BASEとKENZOだけは、コツコツと作曲活動をしていた。そして、2004年、MANBONEは、事実上の活動停止を発表する。

バンド活動停止後、KENZOは、苦悩に悩んだあげく、ソロ活動として、KENZO 83として、ギターを手に歩き始めた。