お茶の間クイーン

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お茶の間クイーンweb. 出涸らし大茶番
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≫1998年春 (高2)
信号無視西角とカツヨシティンパニーがふとしたことからハードコアを作ろうと思いつく。そして最初にして最大の名曲『価電子』が完成する。当時の2人はギターが弾けなかったため、ギターに池田ピンポンを任命。お茶の間クイーン結成。CDを作ろうとする。凄まじい勢い、鼠算式に名曲を量産していく。

≫1999年冬 (高2) → 1999年夏 (高3)
お茶の間クイーンがライブデビュー!『草枯らしツアー』と題し数箇所でライブを慣行。他を寄せ付けぬパフォーマンスで周囲を圧倒、お茶の間旋風を巻き起こす。それと同時にベーシスト、マーブル難波緊急参戦。(当時ライブではVo.ティンパニー Gt.西角Ba.マーブル Ds.ピンポンという実験的布陣をしいていた。) ・・・若干勢いは衰えたものの、アフリカの大家族的感覚で名曲の数々を産み続ける。

≫2001年春 (大1)
信号無視西角が原因不明のギター弾けない病にかかる。
本人曰く『ギターがもう弾けなくなった』とのこと。手には外傷も無くそれ以外のことは何不自由なくできるのだが・・・
完全に勢いが無くなるが、地味にぽつぽつと曲を作っていく。ゆっくり虫の息で活動を続ける。

≫2004年冬 (大4)
何を思ったか意を決してこれまで作り貯めた曲を持ち込みライブ敢行。西角ライブ不能(録音は余裕)の為ピンポンをDsから本職であるGtに戻し、Dsに新メンバーユーイチャーを加え体制を立て直す。しかしご無沙汰しすぎていたせいか他を寄せ付けぬほど御粗末なパフォーマンス(大失態)でケチョンケチョンに。ライブがトラウマになりバンド内は大荒れ。バンド最大のピンチを迎えるがその一週間後に他のイベントに無理矢理ブッキングしてもらいリベンジを試みる。多分成功したであろうリベンジ。

≫2006年冬 (社会人)
作曲、録音活動をリハビリ感覚でゆっくり続けている最中、青春時代を思い出し再結成をする中年バンドの如くライブをするべくメンバーが立ち上がった。

スタッツ

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