channa
色々な人がいます。
ホントに色々な人がいます。
顔が無数に浮かぶのですが、どれも皆、一様に目をつぶっています。
もちろん息はしてるし、口元には微笑さえ浮かんでいるのですが、
その目は開かないのです。
その中で僕の衣擦れの音だけが響きます。
微かだけれども、ずっと反響をしているんです。
で、僕は目を開けたまま夢をみるんです。
そこではうさぎか何かが時間をせっせと運んでいて、
仕事の合間にときどき泣いたり笑ったりしてるんです。
彼らにも休みはあって、大抵はその世界の淵に腰掛けて、
何を話すでもなく虚空を見つめたりしてるんです。
そんな歌を昔書きました。
と、言ってもそんなに古い話ではないのですが。
最近、その歌をよく聞き返すんです。
そして驚くんです。
その歌の温度に。
今、自分が歌っている歌と較べると空気が薄い感じというか、
空気の存在しない空間で響いているような気がします。
今の歌は歌っていてすごく楽しいです。
でも、昔の歌が嫌いだったのとは違います。
昔歌っていた歌も自分の中では大事なものです。
その上で今歌ってる歌について書きます。
なんとなく、自己を確認しているだけです。
昔の歌はそこに全てを見よう、見いだそうとしていたのかもしれません。
重いことを抽象的な歌詞に置き換えて、
歌いながら自分で自分を慰めているような。
今の歌も相変わらず抽象的なことがほとんどですが、
自分の中では結構変わったと思います。
歌に全てを見ようとするのではなく、歌は歌として扱えているような気がします。
大好きだけど、全体重をかけて寄りかかることはなくなりました。
今は一緒に並んで歩いているような感じです。
歌で全てを見ようとしなくてもいいんだ。
そう思えたことが自分にとってはすごく重要なことなのです。
普通に暮らすことの楽しさ、日常的な楽しみ、
そういったものを自然に歌いたいと思うのです。
今のところ、そんな感じです。
多分、トンネルは抜けました。
小川晃一(2005年8月7日の日記より)
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