Apr6
僕が僕であるために
2007年4月06日 ロックノイケニエ奮闘記
一昨日虹をくぐった。
正確には虹をくぐったような錯覚を覚えたと言った方がいいだろう。
仕事で神戸からの帰り、
三田宝塚まで続く阪神高速山手線を走っていると、
料金所でまず虹が出てるのを見た。
その後120キロぐらいで走っていると、
虹がどんどん近付いてくる。
高速の下は山あいの集落で、
走っている地点から100メートルぐらい離れた家が集まっている所から虹が出ているように見えた。
そのまま虹は近付いてきて、手が届きそうな所まで来ると突然消えた。
空を見上げると厚い雨雲が垂れ込めていて、もう光が届かなくなり虹は消えたのだと思った。
学校では空気中に残った水蒸気が光に反射して虹が見えると習った。
理系の友達に聞いても理論上はあり得ないらしい。
でもそんなことはどうでもいいんだ。
要は自分がどう感じたか、自分は自分の世界の中でのみ生きているのだから。
幻覚であろうと、確かに俺は虹をくぐった。
俺は自分の目で見たものや、感じたことしか信じない。
ただ、社会においてそれを押し通すのはなかなか難しい。
自分の方が正しいと思うのに相手の方が年上であったり、
会社などの立場上相手の方が自分よりも役職が上だったりすると、
間違っていると思うことを受け入れさせられる。
また、借りが多い相手にはなかなか強く発言できないものだ。
それに、そういった矛盾が氾濫している世の中、特に気にも留めず上手に流すのも生きていく知恵だろう。
俺は我慢できない。
このアナーキーさは音楽にのめり込むに従って大きくなってきた。
まず自分の曲の中で嘘はつきたくない。
そんなもの伝わらないだろう。
すると自分も嘘をつきたくなくなる。
本物、真実しか求めなくなる。
あとは、無遠慮に心をかき乱すしがらみやもめ事に巻き込まれないため。
ややこしそうな相手からの借りは極力受けない、できることは全て自分でやる。
人につけ込まれるような隙は見せない。
そうやって負い目なく生きていれば、正しいと思うことを言える。
尾崎豊の曲で「僕が僕であるために」という曲がある。
しみじみとしているが切実な意志を感じる好きな曲だ。
その曲の歌詞の意味が、今少しだけ実感できる。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか?
それがこの胸にわかるまで
僕は街に飲まれて
少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
10代でこんな深みと説得力のある詩を書く尾崎豊を心から尊敬するとともに、
俺ももう少しこの矛盾とエゴで混沌とした社会に歌い続けようと思う。
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