Jan17
イエスタデイ
2007年1月17日 ロックのイケニエ奮闘記
AM四時過ぎ、雨音とアイドリングしているトラックの振動で目が覚める。
まだ朝陽の届かない西九条の朝は、
昨日眠りに就く前見た景色とほとんど変化はなかった。
大通りは程ほどの交通量で、
駅の入り口に向かって数台のタクシーが列を作っている。
あまりにも夜見た景色との変化がなかったので、
早朝を示すデジタル時計が、その精巧さゆえ妙に現実味を失った、アンバランスなものに感じた。
昨日は急遽決まったギグだった。
よくあることだが、ライブ当日の不手際で出演できなくなったバンドの代わりに、ジャンルの近いスケジュールの空いているバンドが代役を務め、穴を埋めることがあり今回は俺達にその白羽の矢が立った。
ライブハウスによっては一バンド減ろうがそのままやったり、
一バンド分時間が空いたので出演バンドの演奏時間に余裕を持たせたり、
対応は様々だが西九条ブランニューの場合は好条件でスケジュールの空いているバンドを代役に立てるらしい。
バンドは月に一回でも多くライブをしたいものだから当然喜ぶし、
ブランニューとの繋がりも強くなる。
また、毎日質の高いライブをお客さんに見せたい、
というライブハウスの姿勢も感じられ非常に合理的で建設的な対応だと思った。
その分スタッフは雑務が増えてしまうだろうが。
代役を務めるのは初めてだが、不手際を起こしたのは何度かあった。
最初はバンド内のケンカ、理由は忘れたがメンバーが当日は出演しないと言ったので、アコースティックギター一本だけで弾き語りし、何とか穴は空けなかった。
そのライブのちょっと前に、小林建樹が大学の文化祭に来て一人でやった弾き語りライブを見ていた。
派手な演奏はないものの、ライブは人数じゃなくクオリティ、
弾き語りならバンドよりも歌が前面に出るので、より歌を際立たせるように演奏すればいい、ということを学んでいたので不安はあまりなかったし、ライブハウスの人には
「バンドの時より今日のライブの方がいい」
と微妙な評価を頂いた。
二度目はメンバーのモチベーション低下、ドラムを叩いても楽しくなくなったらしい。その時も弾き語り、音楽は一人でも表現力があれば、いいライブができる。
神戸で荷物を降ろして、仕事終わりに西九条へと直行した。
イメージトレーニングはトラックの中で十分に行っていたし、モチベーションも上がっていた。
ライブハウスに到着すると、ビールという名のロックンロールのガソリンを求めてファミリーマートへ(笑)
メンバーみんな仕事帰りでライブに臨むので、リハーサルをせずぶっつけ本番。
そのため余分にテンションを上げておかなくては、
これは不可抗力、バンドのため(笑)
しばらくトラックの中で一人で呑っていると、よっしーから電話があったのでライブハウス入り。
じきにやっさんも登場、今回は彼もガソリンを入れるらしい。
出番はトリなので適当に時間を潰す、やっさんと二人飲んだくれている間よっしーだけがせっせと事務作業をこなす。
いつもすんません、兄貴。
出番直前には二人ともかなりいい塩梅になっており、若干千鳥足でステージへ。
セッティング中、やっさんはピックをどこに入れたか忘れてしまい、焦りまくる(酔いも醒めたか)。
ブランニューでのリハなしライブは経験していたし、いつでもどこでも酔っ払っていても歌えるよう練習してきている。
ただ今回はドタバタが多かったライブということと、急遽決まったライブなので俺達を応援してくれるファンも少なく、客の入りは悪くてステージ前はモーゼの十戒のような空間が!

これはあかん、
これはあかんでぇ!
とダウンタウンのまっちゃんのような叫びの渦巻く心中を何とか制し、
ポーカーフェイスでライブを始める。
俺のモニターは問題なし、ギターは予めボリュームをいつもより上げていたし、自分の声もはっきり聞き取れる。
ガソリン満タンフルボリュームで黄昏少年のロックンロールが暴れ回る。
一曲目「ロックノイケニエ」終了後、モニターの調整をするためメンバーに確認を取ると、よっしーが「マイクがない!」とテンパりだす。
どーせ床に落ちてるんやろうと思い、よっしーのモニター要望を俺がPAさんに伝え、繋ぎのMCを一発入れて準備完了。
俺達にライブのチャンスを与えてくれたブランニューのためにも、また自分達のためにも、見に来てくれたお客さんを楽しませるため死力を尽くした。
でもライブってやつは本当に難しい。
自分達のやりたい、表現したいことをやり通して、お客さんからも評価される。
これが大成功な結果で、自分達を曲げて評価される、やり通したが評価はされない、これはダメなのだ。
一曲一曲終わる度に大きい拍手は頂けた、ライブハウスにも礼は言われた。
しかし、ライブが良かったか悪かったかは、自分達が一番良く分かっている。
届かなかった。
今回は、自分達のやりたいことはやり通したが、お客さんから評価はされない結果だった。
ステージ前の空白は埋まらず、煽りも中途半端に終わってしまった。
原因は色々考えられる。
一昨日に中津でライブをしていて、そのライブは程よく緊張し、まずまずの結果が得られた。
そしてそのライブで吐き出すものはあらかた吐き出したのか、今回はほとんど緊張感なしで臨んでしまった。
しかし緊張しないのに無理に緊張しろと言われても難しい話で、二日に一回ぐらいのペースで、何ヶ月かライブをするツアーバンドはすごいなと思わされた。
あとはやっさんがリハ無しライブは初ということもあり、感じが掴めだしたのが最後の曲というぐらいなので、さぞ悔しかったろう。
でもヤツなら次はモノにしてくれると信じているので、モジョではガツンといわせてほしい。
また、こういう演奏するには条件の悪いライブでも、逆境を跳ね返すステージング、精神力を身につけないといけない、と学ばされることは多かったので、CDが売れなかったのは忘れます。
ライブに行く前、工場で荷物を降ろしているとフロウのデビュー曲が有線かなんかでかかっていて、メチャクチャカッコ悪かったんでゲロを吐きそうになってしまった。
洋楽のミクスチャーの要素を取り入れていたり、演奏もうまいのに歌っていることは大昔から歌われていることと何ら変わらないし、歌詞の表現もダサく、半笑いになってしまう。
百万回のラブソングか何かも「いっしょーいっしょにいてくれやー♪」の焼き直しに聞こえるしね。
日本人って相変わらず熱くてちょっとおバカで、みたいなキャラが好きなんですね。
ビートたけしも言ってたけど、島国根性ってやつで圧倒的なカリスマや、仕事はできるがクールで無情、みたいなやつは村八分にしてしまう。
ホリエモンがそうやったね、出てきた頃はみんな面白がって、
「ITの革命児」なんて祭り上げていたのに、行き過ぎるとおじさん達によってたかって潰されちゃった。
経済のことは全然分かんないんで、何も言えないけどこんなことじゃ新しい価値観、文化なんて日本じゃ生まれない。
イチロー中田、素晴らしい才能も全て海外流出、それだけ今のこの国には魅力がない。いつまでたっても保守的な農耕民族のまんま。
文化も全て海外からの取り寄せで、生え抜きのレギュラーが全く育たない昔の巨人軍みたい。
独自の文化という、一番大事な国民性を時代遅れだと言って海外のものに何もかもすり替えてしまい、考える力のない子供のようにマッカーサーの言いなりになって、日の丸も堂々と飾れないおかしな国。
この国をそうしてしまったのは、戦後の大人達であって、言うにこと欠いて「愛国心がない」だ言われるのはお門違いだ。
俺達はガキの頃からアメリカのものに囲まれて育ってきたのだ。
戦後から半世紀、復興復興から生産と消費へ、もう十分なんじゃないか。
iPodにも薄型テレビにも興味はないぜ。
それよりもこれからは文化の復興。
今流れてる音楽でクールなやつなんかほとんどないぜ、興味もほとんどないからあんまり知らないし、スピッツとかサザンとかの大御所は省くけど、俺の心に響くクールでホットなバンドってキャプテンストライダムと銀杏ボーイズだけやね、んで東京60ワッツもええね。
ガキの頃尾崎豊の歌声に心打たれて、ブルーハーツや吉井一哉の詩に涙した。
ブランキーにギターの弾き方、ニルバーナにクールな作曲の仕方を教わり人生観まで変わった。
歌い始めた頃はただの音楽好きだった俺が、そういう本物のアーティストに憧れ、自分もそうなりたいと思うなんて想像もしなかった。
いつかそんな日が来るまで、今はライブの一回一回、作る作品、思うこと感じること全てが試練のように思える。
本当に傲慢で恐縮ですが黄昏少年を知って、本当にいいもの、必要なものに気付いた、と言ってくれる人が現れるますように。
昨日のライブを糧にして、また少し大きくなりたいと思います。
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