Dec25
ラブ
2006年12月25日 ロックノイケニエ奮闘記
「世界の飢えた人々に食糧と愛を」
八尾・柏原方面に住んでいる方なら見たことある看板じゃないだろうか。
多分海外の貧しい国へ、
食糧を送る何かの団体の事務所なのだろう。
この国のどこに与えるほどたくさんの愛があるんやー?
きれいごと言ってんちゃうで。
ベタベタの恋愛映画や小説が流行って、
この国こそ愛に飢えてる国ちゃうの?
愛を構築する要素の中には、「信頼」も含まれていると思う。
ちょっと古いが、結婚のプロポーズで
「俺についてこい」
なんかは
「俺を信じてくれ」
とだいたい同じだと思うし、俺が思う愛の一つは、
「離れていても相手を信じる、何があっても相手を信じる」
ことだと思う。
バガボンドで武蔵が柳生家に乗り込むために、
弟子の城太郎に手紙を持たせて使いに出すの。
でも柳生家の人間はよくある武者修行の輩と思って相手にしない、
すると城太郎が
「オラのお師匠をそこらへんのやつと一緒にするな、手紙を読まないならオラを斬れ!」
何回読んでも涙が出ます(笑)
美しい師弟愛。
まあ、そういう愛じゃなくて冒頭の看板で言っている愛は、キリスト教的な慈愛のことを言ってるんだろうね。
それなら一応先進国の日本、貧しい国へ食糧を送る余裕ぐらいあるだろう。
しかしこの慈愛、慈善事業なかなかに難しい。
一歩やり方を間違えれば単に相手の自尊心を傷つけるだけの、おこがましい行為になってしまう。
とてもベタな例で言うと、電車で席に座っていて自分の前にじーちゃんが立っている。良かれと思って席を譲ると
「ワシャまだまだ元気じゃ、年寄り扱いするんじゃないワイ!」
まあ偏屈なジジイだ、って所だがやっぱりね、自分の行為が相手の役にたつか、そこも重要なのね。
席を譲るって行為は立派だけど相手がそれを必要としているか、そこを見落とすと良くないものになる。
日本が食糧難の国に米を送ったら全部捨てられたって話も聞いた。
その国はタイ米しか食べないから、日本米は食べれないんだと。
これも愛の押し売りの典型的な例やね。
ボランティアとかプロ野球選手の寄付など、美談のように持ち上げられるが、これもそんなに凄いことだとは思わない。
偉そうなこと言うじゃねえか、とつっこまれそうだがそういう慈善を行う人の気持ちは何となくわかる。
要は人間に内在する、贖罪精神が彼らをそうさせてるんじゃないだろうか。
Mr.Childrenの桜井も参加しているバンクバンドでは、売上の一部を地球の環境改善のために寄付するらしい。
本人が、今まで自分は行ってきた仕事に似つかわしくない金を手に入れてきた。
だから、今後はその金を世の中のために還元しますって言ったらしい。
まあ確かに、音楽なんて形のあるものじゃないし、五分で作ったような歌でも売れれば何億と稼げる特殊なものである。
Mr.Childrenの曲は世間に求められているものだし、
「儲かってしゃーないわ、シャッシャッシャッ」
と高笑いしててもいいと思うが、本人は本来得るべきものより多すぎると思ったんだろう。
でも、そのことに気がついて、そういった行動に出れる人間だからこそ、桜井の書く曲は心に響くんじゃないかな。
プロ野球選手もそう、人に感動と夢を与える立派な仕事だが、言い換えれば本来娯楽の野球やってるだけだし、いかに上手く球を打つか、とか健康管理とかで自分のことしか考えてない。
それで年間一億円もらっている人がけっこういる。
だから、そこらへんまで行っちゃった人ってのは当然選ばれた人間であって、施設に寄付するだの、病気の子供にホームランを約束するだの当たり前のことなんじゃないかな。
ある種そうやらないと、本人も肩の荷が重すぎるってこともあるかもしれない。
で、
話はまた戻って愛、慈愛じゃなく愛ね。
繰り返すが愛は信頼関係の上に成り立つものだと思う。
バンドのメンバーは野郎ばっかりなのに、思いもかけず信頼関係に気付いたりすると、何だか抱きしめたくなっちゃうし、やっぱり関係あるんじゃないかな。
俺がホモだったりして(笑)
今の社会、自分の周囲の環境を見渡して、その信頼関係の薄さにはいつも閉口する。
その場さえ取り繕えばいい、自分さえ良ければいい個の時代。
俺自身もそうだ、信頼できる人間など殆どいない。
言ってることとやってることが違うっていうのは一番あかんね。
バンドやってる俺でよく気になるのが、ライブ見に来るとかうまいこと言っといてドタキャンするやつ。
五人連れてくるからチケット五枚くれ言うて渡したのに、当日なんぼ電話しても繋がらへん。
ワシ五枚分自腹切ったっちゅーねん、
そんなんで友達と思ってたやつともう喋らんようになるっていうのは虚しい。
んで、
そういうちゃらんぽらんな人は一生愛に触れられないんじゃないだろか。
でも、数は少ないがライブ前日にこっちが確認を取らなくても、
「明日は無理や、すまん」とか
「明日行くからチケット取っといて」
ってキチンと連絡くれるやつもいる。
その時もやはり嬉しい。
ちゃんと俺のこと考えてくれて連絡くれてんな、
って思って抱きしめたくなる。
んで、
こういう信頼感を男女の間で築いていくのが愛かなと思う。
キッズのうちはね、男だったらかわいこちゃんとかおっぱいに引き寄せられるし、女でも男前や自分と違う世界を生きる男に惹かれたりして、けっこうちゃらんぽらんに恋の扉を開けちゃうと思うけど、信頼、気持ちの繋がりがないと長続きはしない。
さっきのチケットの話みたいに、ちゃんと相手のこと考えて行動して、そういう思いやりの積み重ねが、いつの日か愛という揺らぎない信頼関係を創るんじゃないでしょうか。
だから
「付き合って」
とか
そういう言葉もいらないと思う、
好きで一緒にいたいと相手も思ってくれてるなら、多少無理しても自分のために時間作ってくれるし、まだ結婚考えてないならそれで十分でしょ。
「付き合う」
って何やろね?
相手を所有できる権利?
エッチの権利?
違うでしょ、
俺の見解から言うと相手を縛り付けるためのただの言葉、
気持ちを確かめるための慰め。
まあ、自分の意思表示ってのもあるね、好きとか一緒にいたいとかひっくるめて
「俺と付き合ってくれ」
でもそんなん言わんでも相手が自分のこと好きか嫌いかなんて分かると思うけどね。
んで、こっちが相手をどう思ってるかも。
でもずーっと一緒におるのにそれが分かんなかったり、不安になるからそういう言葉が必要なんでしょう。
何年も付き合ってるけど、幸薄そうなカップルいっぱい見たことあるし。
豊かで物に溢れ、大切なことや物の本質が見えにくくなってる時代だから、なおさら愛を熱く語るべきだと思う。
クールなんてもうカッコよくない。
そして、他人と信頼関係を築く努力をしないといけないと思う。
今までは時代に流されてきたが俺は、
そういった「熱」や「リアリティ」をライブで見せたい。
上っ面だけの熱いフリじゃなく、包み隠さない熱さ。
この場を借りて近況を言っとくと、新ベース安田の加入でバンドの演奏力は着実に上がってきている。
来月のVコードが待ち遠しくて仕方ねえ。

だから、
何か冷めた日常に疑問を抱いたり、虚しさを感じている人がいたら、俺達のライブを見に来て下さい。
もっと熱く生きられるヒントを伝えられるかもしれないし、元気づけられるかもしれない。

では、来月ライブハウスで会いましょう。
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