Oct2
レイン・スタンレー
2006年10月02日 ロックの生贄奮闘記
霧雨が髪を濡らす秋の真昼、
仕事で毎日名古屋に来るようになってから何度か雨は降ったが霧雨は初めて。
音もなくシトシト降り、
水滴一粒ずつはとても小さく風に流れ宙を舞う。
しかしその粒子がまとわりつくように顔や髪を濡らし、
抑揚なく絶え間なく降るので終わりを感じさせず余計に陰鬱な気分にさせる。
俺は雨男だ、
うすうす気付いてはいたけど
「降るな」
と思うとけっこうな確立で降る。
こんな事もあった。

高校三年の夏、
好きな女の子がいて付き合ってはいたものの、
彼女は規律の厳しいクラブに入っていて、
カップルらしい出来事は付き合い出した春から全くなかった。
夏からはクラブも引退で忙しくなくなると聞いていたので、
期待していたものの、
夏休み前日の終業式の日彼女は海外にホームステイに行くと言った。
正直愕然としたし、
彼女は俺の事よりも自分の可能性と未来に胸をときめかせている、
と悟った俺はその日の晩彼女に別れを告げた。
彼女の家から駅までの帰り道、
悲しみとやりきれなさで胸をいっぱいにして歩いていると、
突然雨が降ってきた。
ドラマみたいに余りに出来すぎた話だが、
俺の心情が天気に影響を与え、
流せない涙が雨になったのかなと思った。

雨降りの休日、
部屋で一人読書するのがけっこう好き。
部屋の屋根やガラス戸に雨がぶつかる音が絶好のBGMとなって、
ますます小説の世界への想像力が膨らみ感情移入できる。
だから音楽は敢えてかけない。
他にも仕事帰りくたくたになって、
家に着いても車から降りず背もたれを倒して仰向けになりぼんやり考えごとをする時がある。
そんな時も雨が降っていると、
同じく車の屋根を雨粒が叩く音、
フロントガラスが雨粒でいっぱいになりいくつかの粒が一つの雫になって落ちたり、
街灯の明かりなどが雨粒によって涙で滲んだ目で見た景色みたいに、
次々姿を変えて行くのをぼんやり見つめ、
わけもなく切ない気持ちになったり急に昔のことを思い出したりする。
けっこう自分で記憶力はいいと思ってて、
一番古い記憶は3歳か4歳の時、
これも雨絡みで夕方家で一人でいると雨が降ってきた。
母親は買い物で出かけてて洗濯物は干しっぱなし。
ちょうど三階のベランダのある部屋に居た俺は、
誉められたくてベランダの手すりによじ登って洗濯物を取り込もうとした。
下見たらめちゃくちゃ高くて恐いんやけど、
誉められたい気持ちの方が勝って頑張っちゃう。
するとそこに母親が帰って来て危ないことしてるから血相変えて叱りつけられた。
俺は母親を手伝おうと思ってやったんやけど叱られるし意味が分からん。
ただベランダから落ちたら死ぬなって恐怖は、
しっかり胸に焼き付いていて、
今でもけっこう鮮明にその時のことを思い出せる。
記憶ってのは強い感情やインパクトがあると割としっかり覚えてるもので、
ぬるーくあまーい恋よりも傷付け合った悲しい恋の方が忘れられなかったりする。
人間っておかしなもんやねー、
ええことだけ覚えてて嫌なことは次々忘れられたらええのに(笑)
でもまあ猫も車に足踏まれたら二度と車には近寄らないらしく、
防衛本能の一種なんかな。
また痛い目に合わないために体が忘れさせない。

しかし1日の城天先月に引き続きまーた流れたね、
いや、
僕のせいじゃないっすよ(笑)
黄昏少年の初ライブは城天で、
そん時は晴れたし4月にもやってそん時も晴れたからね。
まあその分昨日はみんなで集まって練習したし、
このフラストレーションは次のブランニューで吐き出すとしましょう、

そんなわけで皆さん、
自分なりの素敵なレイニーデイをお過ごし下さい♪
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