10時半に目が覚める、朝早い仕事をしているので寝坊したんじゃねえかと一瞬狼狽したが、今日は休み。
予定も何もないのでぶっ倒れるまでロックンロールだ。
寝覚めの一服中に昨日の出来事を反芻する。
ばーさんと妹と寿司を食べに行った。
仕事が終わって身支度を整え梅田で妹と待ち合わせ。
自分の服装が野暮ったくてなーんか周りにいる人が爽やかに見えるなーと思ってたらまだ結構半袖の元気な人が多い、みんな昼から遊んでんやね。
待ち合わせのビックマンテレビの前はたくさんの人だかりでその熱気にうんざりして俺もシャツを丸めて鞄に入れた。
妹を待っている間人だかりの中のひとりぼっち、
人混みは孤独を余計に色濃く感じさせどんな顔をして歩けばいいかさえ悩んでしまうのでやはり苦手だ。
夜の裏通り、飲みに行った帰りポケットに手を突っ込んで鼻歌歌ってトボトボ歩くのがけっこう好き。
待ち合わせ時間になって妹から電話、妹の現在地を考慮して急遽待ち合わせ場所変更するも説明下手の妹と梅田に疎い兄、お約束の行き違いで余計時間食う。
あんまり似てない妹、よーくカップルに間違われるんだこれが。
でも会った瞬間交わされる独特のやり取りやノリが、やはり20年近く同じ屋根の下過ごしてきた事実を如実に物語る。
阪急十三駅で下車してがんこ寿司、ばーさんは年の割に元気で若く見え、気配りがあり機知に富んでいる。
一階カウンター席はほぼ満席で三人座れるスペースはなく、二階席を勧められるも、ばーさんは応じず狭い通路の狭い待合い席でポツポツ話しながら待機。
激しく腹が減っていたので二階に行かない理由を聞くとなじみのない板前が多い二階で早く食べるよりも安心できる板前がいる一階で食べたいとのこと。
コンビニやらマクドやら大量生産、間に合わせの食事が多い今の世代にはあまり見られないこだわり。
五分ほど待って食事、酒を飲むようになってから寿司、天ぷらが大好き。
早くもおっさん化?
ばーさんとの会話はポツリポツリであまり盛り上がることはなく、孫が来たのにけっこう板前とも喋る。
でもテンションは高くはしゃいだ様子も時折見せる、多分今一緒にいるという時間全てが楽しいのであって具体的な何かを求めているわけではないんだろう。
俺がおっさんと呼ぶ団塊とそれ以前の世代の会話、意思の疎通を図るわけではなくあくまで単なるコミュニケーション、話しかけただけで役割の半分以上は成り立ち気の利いた返事を返しても思ったほどのリアクションはないことが多い。
「もうばーちゃんは先が短いから」
が近頃口癖だが身内を失う悲しみをまだ知らない俺も妹も、ジョークで返したり長生きしてや、と励ますこともできず苦笑いするだけなのだ。
おそらくこのばーさんが最初に失う身内なのだが、今はとにかく機会があれば会いに行き、俺達に伝えたいことを聞き、いい思い出をたくさん持って天国に行ってほしい、それだけ。
夜道というのもあり、帰りは家まで付き添うつもりだったけど、逆にバス停まで送られる。
生まれた時からばーちゃん、生まれた時から孫なら俺が26才になろうが孫なのか。
体を気遣ってたまに電話してもいつも逆に気遣われたり襟元を正す思いにさせられる。
汚れきっていてやけにギラギラしたネオンが逆に虚しさを連想させる十三の繁華街、そこを楽しそうに歩く人々の喧騒、出発するバスの中から見たばーさんの屈託ない笑顔。
言葉にするとながーい反芻だが時間にすれば2、3分。
デモ音源をレコーディングするためギターを手にとる。
作った曲をまずはデモ音源にしてメンバーに聴かせる、そしてスタジオで合わせてデモを超える曲にするのが理想。
俺はギターを弾いて作曲することはめったになく、頭の中でイメージで完成させる。
リフなりメロディーなり、モチーフになるものが一つ頭に浮かべば後は頭の中でその断片をイメージしてどんなイントロがいいのか、構成がいいのか肉付けしながら何十回も曲をかける。
そうすれば自ずと必要なアレンジに行き当たり、曲からできたならその曲に合う歌詞を、歌メロと歌詞からならその歌詞に合うアレンジ、伴奏をつける。
自然の流れにまかせ、辞書を引いてまで難しいことは言わず自分が普段使う言葉で歌詞をつけ、曲のクオリティを上げるためだけで享楽的にならない最小限のアレンジ、変拍子など凝ったことをする場合は最初から実験ありきで作る。
しかしこういった一連の作業を何年も続けていると宇宙からの電波をキャッチするアンテナのように曲のモチーフが次から次へと湧いてきて四六時中作曲のことを考えるモードへと頭の構造が変化していったのかも。
黄昏少年が始まってそろそろ二年、その間に作った曲は50曲以上、よそのバンドのソングライターのペースは知らないけど多いのか?普通なのか?
ルネサンス期の彫刻家ミケランジェロは、石の塊は本来なるべき姿を既に持っていて、彼は石の塊を見ただけでそれが見えていた。
だから彫りながら考えたり、彫る前に試行錯誤するのではなくただ石をイメージ通りに削っていくだけと言った。
次元や功績は比べものにならないが、クリエーター、アーティストとしての一つの境地なんじゃないかなとは思う。
何にせよ、そうやって頭に描いた曲のイメージをMTRという多重録音機器に録音して誰でも聴けるものにする。
この機械は二十歳の時やってたバンドで自分らでデモを録ろうってなってみんなで金出し合って買ったもので、バンドの消滅時に俺の家にあったんで未だに拝借してます。
俺はこの機械があったおかげで他人の曲や演奏にとやかく言えるぐらいになったと思ってます。
要は、3日に一回ぐらいレコーディングしているようなもので、レコーディングってのはライブと同じぐらいプレイヤーを成長させるものだと思う。
当然自分の演奏がすぐに聴けるから納得いかんかったら何回でも演奏する、できた音源がクオリティ低いと他人に聴かせられないし一生懸命作る。
自分の欠点もすぐ見つかるし、
何より緊張感と発展のない練習など時間の無駄。
俺の場合はミスったら始めからやり直し、とる曲によって毎回やることは違う。
だからMTRを持ってる人はもっと活用して、ない人は練習にもなるし少々値は張るが買った方がいいんじゃないかと思う。
リズムマシーンにドラムを打ち込みギターをとりベースを弾く、歌ってコーラスをとる。
食事もとらず缶コーヒー二本と煙草だけで7時までぶっ通し。
腹が減りすぎてとうとう食事、ついでに一週間分の洗濯物。
缶ビールを買いにこの日初めて自動販売機まで外出、秋の夜風は少し肌寒く否が応でも人恋しい気分にさせる。
本当は1日部屋に籠もってるより女の子と遊びに行った方がいいに決まってる。
でも会いたい人が一人もいないなら一人で居た方がいい。
何故か秋にそういう出会いがあることが多い、そして秋が一番好き。
今年もそんな出会いがあればいいな。
部屋に戻って食事、質より量で詰め込むだけの一語に尽きる。
ビールが回ってもうギターを手に取ることもできない、半日近くやったしもういいか。
いつの日かこの小さな部屋で生まれた曲を電波に乗せてたくさんの人の耳に届ける、そのために今は生きてる。
今日はおやすみ、また明日。
予定も何もないのでぶっ倒れるまでロックンロールだ。
寝覚めの一服中に昨日の出来事を反芻する。
ばーさんと妹と寿司を食べに行った。
仕事が終わって身支度を整え梅田で妹と待ち合わせ。
自分の服装が野暮ったくてなーんか周りにいる人が爽やかに見えるなーと思ってたらまだ結構半袖の元気な人が多い、みんな昼から遊んでんやね。
待ち合わせのビックマンテレビの前はたくさんの人だかりでその熱気にうんざりして俺もシャツを丸めて鞄に入れた。
妹を待っている間人だかりの中のひとりぼっち、
人混みは孤独を余計に色濃く感じさせどんな顔をして歩けばいいかさえ悩んでしまうのでやはり苦手だ。
夜の裏通り、飲みに行った帰りポケットに手を突っ込んで鼻歌歌ってトボトボ歩くのがけっこう好き。
待ち合わせ時間になって妹から電話、妹の現在地を考慮して急遽待ち合わせ場所変更するも説明下手の妹と梅田に疎い兄、お約束の行き違いで余計時間食う。
あんまり似てない妹、よーくカップルに間違われるんだこれが。
でも会った瞬間交わされる独特のやり取りやノリが、やはり20年近く同じ屋根の下過ごしてきた事実を如実に物語る。
阪急十三駅で下車してがんこ寿司、ばーさんは年の割に元気で若く見え、気配りがあり機知に富んでいる。
一階カウンター席はほぼ満席で三人座れるスペースはなく、二階席を勧められるも、ばーさんは応じず狭い通路の狭い待合い席でポツポツ話しながら待機。
激しく腹が減っていたので二階に行かない理由を聞くとなじみのない板前が多い二階で早く食べるよりも安心できる板前がいる一階で食べたいとのこと。
コンビニやらマクドやら大量生産、間に合わせの食事が多い今の世代にはあまり見られないこだわり。
五分ほど待って食事、酒を飲むようになってから寿司、天ぷらが大好き。
早くもおっさん化?
ばーさんとの会話はポツリポツリであまり盛り上がることはなく、孫が来たのにけっこう板前とも喋る。
でもテンションは高くはしゃいだ様子も時折見せる、多分今一緒にいるという時間全てが楽しいのであって具体的な何かを求めているわけではないんだろう。
俺がおっさんと呼ぶ団塊とそれ以前の世代の会話、意思の疎通を図るわけではなくあくまで単なるコミュニケーション、話しかけただけで役割の半分以上は成り立ち気の利いた返事を返しても思ったほどのリアクションはないことが多い。
「もうばーちゃんは先が短いから」
が近頃口癖だが身内を失う悲しみをまだ知らない俺も妹も、ジョークで返したり長生きしてや、と励ますこともできず苦笑いするだけなのだ。
おそらくこのばーさんが最初に失う身内なのだが、今はとにかく機会があれば会いに行き、俺達に伝えたいことを聞き、いい思い出をたくさん持って天国に行ってほしい、それだけ。
夜道というのもあり、帰りは家まで付き添うつもりだったけど、逆にバス停まで送られる。
生まれた時からばーちゃん、生まれた時から孫なら俺が26才になろうが孫なのか。
体を気遣ってたまに電話してもいつも逆に気遣われたり襟元を正す思いにさせられる。
汚れきっていてやけにギラギラしたネオンが逆に虚しさを連想させる十三の繁華街、そこを楽しそうに歩く人々の喧騒、出発するバスの中から見たばーさんの屈託ない笑顔。
言葉にするとながーい反芻だが時間にすれば2、3分。
デモ音源をレコーディングするためギターを手にとる。
作った曲をまずはデモ音源にしてメンバーに聴かせる、そしてスタジオで合わせてデモを超える曲にするのが理想。
俺はギターを弾いて作曲することはめったになく、頭の中でイメージで完成させる。
リフなりメロディーなり、モチーフになるものが一つ頭に浮かべば後は頭の中でその断片をイメージしてどんなイントロがいいのか、構成がいいのか肉付けしながら何十回も曲をかける。
そうすれば自ずと必要なアレンジに行き当たり、曲からできたならその曲に合う歌詞を、歌メロと歌詞からならその歌詞に合うアレンジ、伴奏をつける。
自然の流れにまかせ、辞書を引いてまで難しいことは言わず自分が普段使う言葉で歌詞をつけ、曲のクオリティを上げるためだけで享楽的にならない最小限のアレンジ、変拍子など凝ったことをする場合は最初から実験ありきで作る。
しかしこういった一連の作業を何年も続けていると宇宙からの電波をキャッチするアンテナのように曲のモチーフが次から次へと湧いてきて四六時中作曲のことを考えるモードへと頭の構造が変化していったのかも。
黄昏少年が始まってそろそろ二年、その間に作った曲は50曲以上、よそのバンドのソングライターのペースは知らないけど多いのか?普通なのか?
ルネサンス期の彫刻家ミケランジェロは、石の塊は本来なるべき姿を既に持っていて、彼は石の塊を見ただけでそれが見えていた。
だから彫りながら考えたり、彫る前に試行錯誤するのではなくただ石をイメージ通りに削っていくだけと言った。
次元や功績は比べものにならないが、クリエーター、アーティストとしての一つの境地なんじゃないかなとは思う。
何にせよ、そうやって頭に描いた曲のイメージをMTRという多重録音機器に録音して誰でも聴けるものにする。
この機械は二十歳の時やってたバンドで自分らでデモを録ろうってなってみんなで金出し合って買ったもので、バンドの消滅時に俺の家にあったんで未だに拝借してます。
俺はこの機械があったおかげで他人の曲や演奏にとやかく言えるぐらいになったと思ってます。
要は、3日に一回ぐらいレコーディングしているようなもので、レコーディングってのはライブと同じぐらいプレイヤーを成長させるものだと思う。
当然自分の演奏がすぐに聴けるから納得いかんかったら何回でも演奏する、できた音源がクオリティ低いと他人に聴かせられないし一生懸命作る。
自分の欠点もすぐ見つかるし、
何より緊張感と発展のない練習など時間の無駄。
俺の場合はミスったら始めからやり直し、とる曲によって毎回やることは違う。
だからMTRを持ってる人はもっと活用して、ない人は練習にもなるし少々値は張るが買った方がいいんじゃないかと思う。
リズムマシーンにドラムを打ち込みギターをとりベースを弾く、歌ってコーラスをとる。
食事もとらず缶コーヒー二本と煙草だけで7時までぶっ通し。
腹が減りすぎてとうとう食事、ついでに一週間分の洗濯物。
缶ビールを買いにこの日初めて自動販売機まで外出、秋の夜風は少し肌寒く否が応でも人恋しい気分にさせる。
本当は1日部屋に籠もってるより女の子と遊びに行った方がいいに決まってる。
でも会いたい人が一人もいないなら一人で居た方がいい。
何故か秋にそういう出会いがあることが多い、そして秋が一番好き。
今年もそんな出会いがあればいいな。
部屋に戻って食事、質より量で詰め込むだけの一語に尽きる。
ビールが回ってもうギターを手に取ることもできない、半日近くやったしもういいか。
いつの日かこの小さな部屋で生まれた曲を電波に乗せてたくさんの人の耳に届ける、そのために今は生きてる。
今日はおやすみ、また明日。
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