Jan5
音楽って何だっけ……。
2011年1月05日 OSAMU
今迄当サイトを読んでくれている方々からすれば、
結局俺は紆余曲折、試行錯誤を経て
バンド活動に悉く挫折していると知悉されている事だろう……。

応援してくれた方々には申し訳無いが、
以前宣言した様に今後は個人の宅録へ方向性を移行すべきだと
結論は導出されている。

しかし、今頃になって何故か一年近く前の
募集記事から応募の連絡が通知されたり、
個人の音源サイトへも外部からの好評やリンク申請が
立て続けに舞い込んで来たり……。

それは実に有り難い話しだけど、正直に告白すると
現状としてはもう音楽の存在価値とか意義自体が
不明瞭になって来てしまっているんだよね。

以前から懸念していた事ではあるけど、
本格的に努力しようとする内に余計音楽の本質や
業界の体質を実感して、より冷淡な視座を持つ様になったと言うか。

幾度か吐露したけど、正直音楽は一過性の娯楽や
見世物に過ぎず、現実を変革させるだけの実効力が無いと思う。

例えばテレビ番組上でアーティストのライブなりPVなりを
観て興奮したとしても、大多数の人達はその感銘から
能動的で建設的な行動を起こす様になるかと言えば、
正直どうだろうかと。

歌謡曲では明日、希望等と教条的な台詞を耳障りの良い
常套句として重用する。しかし、そんな哲学も内実は希薄。
大抵は既に体系化された価値観の流用に過ぎず、
第三者へも上辺迄にしか届いていない。

仲間内でのカラオケ、羨望するアーティストのライブ鑑賞、
それ等も一時的なストレス解消に過ぎず、
歌詞の内容を具体的且つ真摯に受け取って自他を変革しようと
決起し実行する者は少数にも満たないのではないか……。

これ等一連のコミュニケーションや文化と言うものは
所詮現実逃避や自己陶酔の経路を提供しているだけで、
根本的な解決策を提示する所か寧ろ益々自分で自身の首を絞める
閉塞へと案内してしまっている。

或る楽曲やアーティストに対し、共感や心酔を寄せている
恍惚的な精神状態は危険だと思う。

端的に表現すれば、それは漫画やゲームを嗜んだ直後に
丸で自分が無敵の主人公になったかの様な錯覚を
覚え興奮しているに過ぎない。

その疑似体験から、丸で明日から自分自身に於ける
真の人生が始まる、とでも言う様な思い込みを
刷り込まれるのが危ういのだと。

人格や能力、周囲の環境や人間関係が明日から激変し、
歯車が噛み合って廻る様にこれからは全てが在るべき所へ収まり、
理想通りの人生が始まる……。そんな希望的観測を抱かされる怖さ。

現実の鬱屈した状況を打破する劇的な出来事、
運命的な出逢いなんて何処にも無いって。

有り得るとしてもそれは自分自身が能動的な
努力をして獲得や克服を為して行くものであって、
一朝一夕に幸福や大成が訪れる訳が無いじゃん。

と、言う感じで俺は上記の様な思索を延々と紡いでいる。
以前からして「もっと意義の在るものを歌いたい」と
表明していたけれど、どう足掻いても観念の檻から
脱却出来ず打ちのめされていたりして……。

何者かを演じる意志は微塵にも無いし、
下世話な権勢欲も欠片も湧かない。


ああ、ほんとうんざりする。
テレビの中や舞台上で示威的に振舞うあの人達だって
同様の人間に過ぎず、特別な存在等居ない事を
心底から実感しているので。

誰へも、何一つ憧れないね。

奴等は口先だけの嘘吐きだよ。三文芝居の役者だよ。
全ては虚飾、虚構、虚栄に満ちている……。

観客も、未来、未来とうわ言の様に繰り返し
発奮するが、どうせそんな希望と言う名の熱病は
明日になれば忘却したかの様に冷めている。

そして叉今日も自我を預けてしまうかの様に、
自らベルトコンベアーの工程に乗って安堵するんだ。

舞台の終幕は見るも無残な虚無で終わるさ。
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