喜界島の特攻花(live)
特攻花を贈った人よ 名も知らぬ若人よ
御国の為にあなたの為に流した涙

まだ楽しき事も まだ悲しき事も
何も知らない年端に
何故飛ぼうとするの 何故逝こうとするの
何故死に急ぐの

熱いよ 暗いよ 苦しいよ 逝きたくないよ
貴方の背中を押すのは誰
寒いよ 怖いよ 寂しいよ 飛びたくないよ
一人で死ぬには偲びないよ

特攻花を贈った人よ 名も知らぬ若人よ
御国の為にあなたの為に流した涙


鳴り止まない銃声と 意味のない殺し合いを
いつまで続けているの
名も知らぬ若人の 命はどれだけ
悲しい炎に包まれているの

熱いよ 暗いよ 苦しいよ 逝きたくないよ
貴方の背中を押すのは誰
寒いよ 怖いよ 寂しいよ 飛びたくないよ
一人で死ぬには偲びないよ

貴方と共に散った花びら 未だ枯れることなく
帰らぬ貴方を待ってこの島で一人咲いています

特攻花を贈った人よ 名も知らぬ若人よ
御国の為にあなたの為に流した涙

咲き誇れ特攻花



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ヒコレビュー)
中学生のころ家族で行った鹿児島県喜界島の空港にあった石碑の文字を見て作った歌。

戦時中、喜界島は特攻隊の最後休息の島でした。
この島で零戦に片道分の燃料と大量の爆薬を抱き少年達が特攻していくのです。
特攻していく少年たちと慰安婦の方がある人は恋人のようにある人は姉弟のように最後の生活を送っていきました。
そして特攻の辞令がくだった若き特攻隊の少年のために一輪の花を贈ったそうです。
この一輪の花を慰安婦の方が少年たちに『せめて私だと思って御国のためにこの花と一緒に散ってください』と手渡すのが習慣となったそうです。

でも一緒に散らせてはいけないとある少年は飛び立つ前に滑走路へ
またある青年は飛び立ったあと窓から海へ
その花と一緒に特攻するのは偲びないと思い各々花を置いていったそうです。

1945年8月15日、戦争が終わりました。

今でも特攻隊の少年達が置いていった花が暑い夏、喜界島の空港周辺に咲き乱れてます。

平和は求めるもんじゃないと思います。

平和は願うもんじゃないかと思います。