有刺鉄線
東京
Punk / Rock
ユーセフ(ボーカル)/山崎義則(ギター)/鹿内武蔵(ベース)/SHIOSE(ドラム)
2004.12
このままじゃいけないと思った山崎が有刺鉄線を結成。708(Vo)とともに初ライブ。ムサシがサポートしてベースを弾く。
2005.1
森(Ba)が加入。
2005.10
708(Vo)脱退。田代(Vo)加入。
2006.2
Mr.メキシコ(Dr)加入。
2006.3
初音源でもある主制作盤「ドキ!!アブないハレンチ学園スクール」リリース。
2006.5
初自主企画「有刺鉄線電流爆破デスマッチVol.1」を開催する。
2007.2
自主企画「有刺鉄線電流爆破デスマッチVol.2」を開催。第1回を大幅に上回る動員数を達成。また自主企画を記念して「有刺鉄線デモCD5曲入り200円」を50枚限定で発売し、完売する。
2007.10月
1stアルバム「放課後サビシガリックシンドローム」を全国リリース、タワーレコードなどでもプッシュされる! レコ発企画「有刺鉄線電流爆破デスマッチVol.3」は大成功し、まさに「感極まる」を体現する。
2008.2
初のツアーを決行する。関西と北関東・東北を蹂躙。
2008.5
初ワンマンライブ「ひとりでできるもん」を開催。最高の盛り上がりをみせて大成功に終わる。
2008.9
メンバー間の考え方の埋めがたい溝により、山崎が一人で有刺鉄線に残る事になる。
2008.10
ムサシ(Ba)が加入し、新メンバー探しを行う。ボーカル探しに難航するも、最高に熱いモロッコ人・ユーセフと出会う。彼はブルーハーツに憧れて、フランスで日本語を勉強し、バンドをやる為に来日したという複雑な経歴の持ち主だった。
2008.11
新メンバーで初ライブ。「原点回帰」「下積み」をキーワードに初心者時代に出演していた辺境のライブハウスで、しかもシークレットという形式で行った。閑散とすると思われていたが、いざ始まると熱狂の嵐。なかなかの手ごたえを感じる。
2009.1
キラキラレコードより、ニューシングル『忘れな草』を全国発売。
2009.9
2度目のワンマンライブを池袋手刀で敢行! 超満員の大成功! さらにサポートドラムだったShioseが正式加入!
2009.10~
関西を中心に積極的にツアーに出る。
2010.3
2ndアルバム「放課後のシンパシー」をキラキラレコードより全国発売。
このままじゃいけないと思った山崎が有刺鉄線を結成。708(Vo)とともに初ライブ。ムサシがサポートしてベースを弾く。
2005.1
森(Ba)が加入。
2005.10
708(Vo)脱退。田代(Vo)加入。
2006.2
Mr.メキシコ(Dr)加入。
2006.3
初音源でもある主制作盤「ドキ!!アブないハレンチ学園スクール」リリース。
2006.5
初自主企画「有刺鉄線電流爆破デスマッチVol.1」を開催する。
2007.2
自主企画「有刺鉄線電流爆破デスマッチVol.2」を開催。第1回を大幅に上回る動員数を達成。また自主企画を記念して「有刺鉄線デモCD5曲入り200円」を50枚限定で発売し、完売する。
2007.10月
1stアルバム「放課後サビシガリックシンドローム」を全国リリース、タワーレコードなどでもプッシュされる! レコ発企画「有刺鉄線電流爆破デスマッチVol.3」は大成功し、まさに「感極まる」を体現する。
2008.2
初のツアーを決行する。関西と北関東・東北を蹂躙。
2008.5
初ワンマンライブ「ひとりでできるもん」を開催。最高の盛り上がりをみせて大成功に終わる。
2008.9
メンバー間の考え方の埋めがたい溝により、山崎が一人で有刺鉄線に残る事になる。
2008.10
ムサシ(Ba)が加入し、新メンバー探しを行う。ボーカル探しに難航するも、最高に熱いモロッコ人・ユーセフと出会う。彼はブルーハーツに憧れて、フランスで日本語を勉強し、バンドをやる為に来日したという複雑な経歴の持ち主だった。
2008.11
新メンバーで初ライブ。「原点回帰」「下積み」をキーワードに初心者時代に出演していた辺境のライブハウスで、しかもシークレットという形式で行った。閑散とすると思われていたが、いざ始まると熱狂の嵐。なかなかの手ごたえを感じる。
2009.1
キラキラレコードより、ニューシングル『忘れな草』を全国発売。
2009.9
2度目のワンマンライブを池袋手刀で敢行! 超満員の大成功! さらにサポートドラムだったShioseが正式加入!
2009.10~
関西を中心に積極的にツアーに出る。
2010.3
2ndアルバム「放課後のシンパシー」をキラキラレコードより全国発売。