プロフィール
W-DRUG DELIVERY SYSTEM
MAIL  /  HP
千葉
Grunge / Guitar Pop / Rock
マサミ the RockStar(♂)タナカート(♂)代表ゲンキ(♂)ヤマダメン(♂)
W-1999年頃
ドラムゲンキを中心に結成。当時1回きりバンドでビビエスでお馴染みのAge氏をGu.Voとし活動。サブギターでマサミ the RockStar(以下、マサミRS)も参加するが、3回目以降のスタジオに呼ばれなくなり、強制脱退。都内の某ライブハウスで最初で最後の解散ライブを行なう。ここで1期生終了。

W-2000年頃
某バンドを脱退し、無難な人生(当時の彼女にゾッコンでした為、バンド脱退⇒就職⇒結婚)を歩むがために就職したマサミRSでしたが、携帯の着信履歴をこっそり覗かれ失恋。労働意欲を失い転職。その頃代表ゲンキと再会(たしかコンパのお誘いだったと思う。余談ですが代表は当初二十歳でした。成人式のスーツを買いに行く途中を飲み会要因足らずで捕まえた次第です)ここで改めてバンドを再結成。ですがマサミRSと代表だけでは幼稚園児の運動会のようになってしまうので、Baの採用条件は①シキレル。②人としてキャパが大きい。③音がガチンコ。と以上3つの条件を満たす逸材を探すと一発ビンコ!とあるバンドの打ち上げにて酔っ払ったタナカートを口説いて加入。当初はコピバン程度のつもりだったんですが、思ったより豪華なメンツがあつまったのでオリジナルをやる事に路線変更。初回ライブを旧K's dreamにて迎えたかったのですが間に合わず、現在のArtBoxに移転してから定期的にライブをこなす。

W-2001年頃
自主制作による1maxi single"be born under apology"(生まれて来てごめんなさい)を発売。2~300枚ほど販売し現在絶版。

W-2002年頃
初企画SOUND DRUG(以下、SD)を開催。当初前座ででるはずだった盟友Kickit!がイベント直前にして急遽解散。GuVoの瀬尾太郎がバンドを辞めたいという理由で解散したにもかかわらず、W-DDSに加入しSDに参加。瀬尾太郎からセオロックに呼び名が変わる。その後は呼ばれりゃ行きますドコマデも的にイベントに参加。

W-2003年頃
結成当初から一緒にやりたいと騒いでいたBuddhistsonと念願の競演。
Whence He CameのJapan tourに03,04年と連続参加。

W-2005年1月
1月18日ROCK RUSH RADIO(ラジオ日本1422khz)に出演。
2nd maxi single"足跡"が1月26日に全国発売。