プロフィール
THE KOALAS
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東京
Blues / Pops / Rock
Nara Michinobu(guitar+vocal) Ueda H.(bass) naoyuki mukai(drums) Kato Kyohey(guitar)
THE KOALASのはずかしい来歴。

2002年1月
多摩地区の同じ都立高校に通う、
奈良道宣(gt,vo)、植田篤志(ba)、加藤マニ(dr)の3人で、
前身となるThe Potato Field Full Montyを結成する。

2002年8月
国立にて初ライブ。曲は全てカバー曲

2002年9月
当初の目的であった文化祭後夜祭のステージに上級生を押しのけて立つ。
曲目はBen E. KingのStand By Me。

2003年2月10日
国立にて初めての全曲オリジナル曲でライブを行う。

2003年9月
Hedrocoreのギタリスト、丸野智彬(現在はGEVAのgt,vo)と、
4人で再び文化祭後夜祭に出演。
曲目はRadioheadのCreep。
トリは加藤恭平(現gt)、堤博明(現在はNeo Beliefsのgt,vo)のバンドだった。

2004年3月
初めてのレコーディングを行う。
機材の知識が皆無だったため惨憺たる結果になる。
しかしながら厚顔無恥、せっかくだからと5曲入りCD-Rを250円で売り出す。

2004年4月1日
国立にてライブを行う。
意外にも好評を博し、件のCD-R、"Tear Drop"を20枚ほど売る。

2004年6月3日
足を伸ばして吉祥寺にてライブ。曲をもっと練り込めと説教される。
植田が歯学浪人生活に突入し、暫しの活動休止。

2004年10月26日
植田が受験生活を苦に蒸発する。無人のアパートにて悶々と過ごし、
4日後に帰宅する。

2005年4月
植田が某歯学専門学校に入学する。

2005年9月19日
sister jet企画、"our world vol.4"に出演する。

2005年12月
sister jetのドラマー、Kensuke Aokiのコメント、
「いいバンドなんだけど、バンド名が長くて、なにかちがうね」を受け、
バンド名をどうぶつの名前にすることを決意。
ほどなくTHE KOALASと改名する。

2006年3月5日
sister jet企画、"our world vol.5"に出演する。

2006年10月12日
下北沢Daisy Barに出演。
不思議と誉められて増長する。

2006年11月13日
高円寺無力無善寺に出演。
スカム系ミュージシャンにびびる。

2006年11月14日
下北沢Daisy Barに出演。高校生の頃から憧れていた2デイズ公演であったが、
移動中の京王線内で「2日連続でなんかやるもんじゃない」と溜め息をつく。
不思議とますます誉められてますます増長する。

2006年12月
加藤恭平(gt)がなし崩し的に加入。金銭面の負担が減り、潤う。
ギターが1本増えたことにより音に厚みが出たとの噂がたつ。

2007年1月14日
下北沢GARAGEに出演。
もっとしっかり練習しろと言われる。
奈良と加藤は酒が足りなかったのではと猛省。

2007年1月27日
下北沢Daisy Barに出演。
当分休止すると言ったためバンドの最多動員を記録する。
ノルマバック分はスタジオ代等にしようと言いながら、打ち上げ代に消える。

2007年2月24日
東福生UZUに出演。
ほぼ生音に近いステージに困惑するも、UZUのErikoママに叱咤激励される。
本来払わなくて済んだノルマ代を完納し、筋を重視するバンドである事を示す。

2007年3月4日
下北沢Daisy Barに出演。
Daisy Bar2周年記念月間のため店のポスターに署名までさせて頂く。
今回も店長の加藤さん、Briarのアキさんに誉められ、
かつアドバイスをされたので、軍人のように良い返事をする。

2007年3月31日
東福生UZUに出演。
UZUタイムにより1時間押しとなり。飲み会のようになってから開始。
演奏はふらふらだったもの、終了後、
Erikoママに「ムチを振るった甲斐があったわ」というコメントを頂く。

2007年4月7日
西荻窪TURNINGに出演。
曲の継ぎ目を意識して流れのあるライブを行うつもりが悉く失敗。
終演後楽屋にて声を揃えて「やっちゃったー」と叫ぶ事態になる。
THE BUZZの上沼さんのご好意により再びブックしてもらえることに。

2007年4月29日
下北沢Daisy Barに出演。
「ライブをこなしている」という評を頂戴したため殺気だって演奏す。
殺気が粗さとなり、客席との温度差にびびる。
加藤さんからはまたしても誉められる。
とにかくがっかりされたくないという気持ちが強いバンドである。

2007年5月14日
池袋LIVE INN ROSAに出演。
STUDIO PENTA池袋店こだまさんのご好意により前々日に急遽参加を決める。
奈良と恭平が遅刻したためリハーサルはリズム隊のみという事態に。
しかしながら周囲の耽美系の空気を読まずに泥臭いライブを展開する。
植田が遂にアンプによじ登り、立つ。

2007年5月19日
東福生UZUに出演。
ややハウスバンド然としてくる。
Erikoママに「けっこう好きよ」というコメントを頂く。

2007年5月20日
下北沢Daisy Barに出演。
初グッヅのバンドTシャツを突然売り始める。
ところがギタートラブルが発生し、構成はグダグダになり、
呼応するかのように演奏もグダグダになる。
ついにさすがの加藤さんからも叱咤される事態に。

2007年6月16日
東福生UZUに出演。
出演者が全員友人同士ということで和気藹々とした雰囲気の中行う。
光明差し込むも、演奏面はいまだトンネルの中であった。

2007年6月23日
西荻窪TURNINGに出演。
奈良の代わりに植田が喋る作戦が功を奏しまとまりのあるライブを行う。
エンジニアの丸野がギターの音の悪さに怒るあまり会場の床で大の字になって眠る。

2007年7月05日
植田3度目の家出。
ジャズ研究部の部室での寝泊まりが始まる。

2007年7月07日
下北沢SHELTERに出演。
オーディションライブを受ける。
緊張のあまりガタガタするも、やる気が出る。

2007年7月08日
下北沢Daisy Barに出演。
昨日の鬱憤を晴らすかのように気合いの入ったライブを行う。
加藤さんと丸野に昨今で一番の出来と誉められ調子を取り戻したかに見えた。

2007年7月16日
府中FLIGHTに出演。
リハと本番の合間が長かったので散歩したりラーメンを食べたりリラックスする。
ハードコアな対バンに存在感を見せつけようと活発なライブを行う。
打ち上げに参加し、終電を逃し植田以外の3人は雨の中ケンカして帰る。
(植田も何故か帰る場を失い、広めの公衆トイレで夜を明かすことになる)

2007年8月13日
かねてより制作していたスタジオ音源"メリーゴーランドEP"を発売する。
それに併せたレコ発ライブとして下北沢DaisyBarに出演。
後半、恭平のギターの弦が切れたことで明らかにバンドが意気消沈。
メンタルの弱さを露呈させる結果となり、4人は楽屋で黙り込んでしまった。

2007年8月18日
THE VISIONのご好意により、渋谷CRAWLに出演。
誰かが失敗しても4人で協力して頑張るという小学生のような目標を掲げる。
果たして成功するも、依然として可もなく不可もなくといった体である。
打ち上げ後、都内某所にある植田の潜伏先に押し掛けて騒ぐ。

2007年8月22日
SUTDIO PENTA池袋店たむらさんのご好意により、池袋MANHOLEに出演。
GEVAとの共演に浮つく。恭平の土下座による営業が始まる。

2007年8月31日
加藤さんのご好意により、下北沢DaisyBarに突如出演。
VENIVIDIVICIOUS、Mirrazとの共演に浮つき、何となく歯がゆいライブを行う。
最後の曲(ディナーショウ)でそれを打破すべく奈良がパンクスと化し一人で暴れだす。
植田も触発され、さながら「俺が俺が状態」であった。
大勢の打ち上げで居酒屋の店員に注意を受け、終電を逃し、奈良のエフェクターを忘れる。


2007年9月01日
下北沢SHELTERに出演。
前日が前日だったため始発を待つために新宿の街を浮浪し、どうにか植田のアジトに帰宅。
3時間ほど寝た後のトップバッターであったが、寝不足の殺気が功を奏し、
昨今稀に見るまとまりのあるライブを行う。奈良はエフェクターを取り戻す。


2007年9月08日
カナグスクのご好意により、下北沢MOSAICに出演。
お洒落な内装と、特殊な客層に浮ついたか奈良は歌詞を忘れまくり、
加藤は謎の半拍ズレビートを叩き出していた。
されど開き直りが功を奏し、総じてアツカッタという評判を頂く。


2007年9月15日
sister jetのご好意により、下北沢DaisyBarに出演。
彼らの自主企画"our world"に出演3年目にして遂にトリ前を任される。
満員の会場の中、殺気と気合いが空回るライブを行う。
その余剰分の気合いのためか、物販でCDを20枚近く売りあげる。
練習した方がいい、という意見と練習しないほうがいい、という意見を頂く。


2007年9月
恭平が新しくバイトを始めようとするも、4件のコンビニに立て続けに断られる。
さんざん落ち込んだ末、最終的に郊外の"山田うどん"に落ち着く。


2007年10月8日
初の自主企画イベント"NEVER TAKE ME HOME"を下北沢DaisyBarにて主催する。
先着50名に各出演バンドのライブビデオが収録されたDVDを配布する。
雨天の中、総動員数110名という大盛況で幕を閉じる。


2007年10月20日
4人で渋谷の某レコードレーベルまで出かける。
社長氏じきじきの登場に慌てるも「こりゃ売れないね」の一言により
一転リラックスムードになる。市場の話をたくさん聞く。
その足で東福生UZUに出演。かなりごちゃごちゃしたライブをしつつも
方々より褒められて元気を出す。

2007年10月21日
下北沢SHELTERに出演。
若さを出そうと躍起になる恭平はライブ中にジャンプを連発した。
呼応した植田がアンプからのジャンプを試みたが、アンプが倒れてしまい、
植田もライドシンバル等を巻き込みつつ落下し、右足を捻挫する。
アンプには500ウォン硬貨ほどの穴が空き、猛省する。

2007年10月29日
植田のバイト先にミラ・ジョボヴィッチが来店し、
カシスシャーベットを運ぶ。英語が話せない植田は身振りで愛想をふりまく。

2007年11月1日
下北沢MOSAICに出演。
奈良の新調したエレアコの弦が1曲目で切れてギター交換をしたり
植田のオーバードライブが死んだり、スネアドラムの裏皮が破れたりと
(消耗の)激しいライブになる。
下北沢駅改札にてバンドの今後について一悶着する。

2007年12月7日
第二回自主企画イベント"NEVER TAKE ME HOME#2"を下北沢DaisyBarにて主催する。
奈良は風邪をひき、ラクナールやユンケルを大量に服用する。
結成から1年が経ち、若手から中堅へのステップを踏まねばならぬと実感する。
寒空の中、総動員数88名という盛況で幕を閉じる。

2007年12月28日
ブレルナのご好意により下北沢CLUB251に出演する。
加藤の内定式により、リハーサルなしのぶっつけ本番を初めて行う。
ずれる、止まる、外れるの三拍子が揃ったライブとなる。
共演者と朝まで鍋をつつく。

2007年12月29日
DaisyBarのご好意により、下北沢DaisyBar年末イベントに出演する。
前日と同様リハーサルなしであったが、対バン達によるおかしな高揚感によって
熱量の高いライブを行う。1年のまとめにふさわしかったらしく、安心する。
やっぱり共演者と朝まで鍋をつつく。

2008年1月6日
西荻窪ターニングに出演。 出順が遅かったため、夕飯に何を食べるか一悶着。
小一時間の浮浪により、本番前には全員疲労困憊。
全員一致の「めちゃくちゃにしてやる」という気構えで乗り切り、
概ね好評を博す。諸々の散財により、新年早々財政難に喘ぐ。

2008年1月10日
The Mirraz,VENI VIDI VICIOUS,そしてエッグマン志賀さんのご好意により、
渋谷エッグマンに出演。"NEWROCK E.P"レコ発。
めちゃくちゃにやろうとして、本当にめちゃくちゃになる。
熱心なロックファンより「期待し過ぎました」という有り難い言葉を賜る。
打ち上げ中、奈良が泥酔し、トイレの個室にたてこもる。

2008年2月6日
植田の携帯電話が使用不能になる。

2008年2月9日
未明、急遽Veni Vidi Viciousの対バンに抜擢され、深夜の南青山へ急ぐ。
何も知らずにアジトで眠る植田を加藤が大捕物で誘拐するも、
会場となるEVERの場所がわからずタイムオーバーとなる。

その足で群馬県に初の遠征に出かける。
店長である小此木さんのご好意により、桐生VAROCKに出演。
ツアーではもの凄い喧嘩になるだろうという前評判を裏切る
4人の助け合いの精神により、雪の中で白熱したライブを行う。
クルーの営業により持っていったCDRを完売する。

2008年2月28日
LOFT PROJECT 塚越さんのご好意により、新宿LOFTに出演。
恭平のハイテンションと加藤のローテンションにより、
バランスのとれたライブとなった(らしい)
塚越さんからは「とても良かった、印象一新です」
sister jet青木船長からは「かっこつけたべ」
という、有り難い言葉を賜る。

2008年3月2日
下北沢SHELTERに出演。
デイライブ4回目の挑戦にして、新店長の峰崎さんからついに
「サイコーでした」という有り難い言葉を賜り、夜の部へ進出。
合格の知らせを受けた恭平は歓喜の涙を流したという。

2008年3月10日
EGGMAN志賀さんのご好意により渋谷EGGMANに出演。
鬼門のEGGMANに気圧され、後半2曲が逃げ出すようなテンポになる。
志賀さんからは「25歳くらいにはかちっとなるかもね」という有り難い言葉を賜る。

2008年3月15日
福生UZUに出演。
加藤の中学時代の同級生率いるPACKとの共演によりホームの風を放つ。
久しぶりの出演のため、永里子ママに1年の成長を見せることになる。
「最初観たときはシャバダバだったけど、すごくよくなった」というコメントを賜る。

2008年3月16日
The John's Guerrillaリョージくんのご好意により渋谷CRAWLに出演。
1つ前に登場のQUATTRO、及びリハなしの臨場感により殺気だち、
ここ数回の安定感を打ち消す荒々しいライブを行い、
インディファンからは歓声、ポップラバーズからは苦情を頂く。
ポップファンからも歓声を得るべく、さらなる精進を誓う4人。

2008年3月20日
下北沢DaisyBarとの共同企画"See You Late Show"を開催。
春からの新生活に向け、ライブ活動を一旦休止するため、
気合いの入ったライブを行う。気合いを空回りさせなくなった点で、
バンドの摩擦力が上がったらしい。

2008年3月21日
WOWOWのインターネットラジオ、AZステーションの"音種"に
"まちがいさがし"とバンドのインフォメーションが放送される。
休止を宣言した翌日に次回のライブ告知が放送されたため、波紋を広げる。
話題が植田の家出の話に及ぶとMCの方から「頑張れ植田!」という激励のほか、
人ごとだと思って適当な冗談を連発される。