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噛めば噛むほど旨味出る!!どうもするめです。巷で流行の宅録系男子に憧れて…from洗足
ボニファティウス8世(Bonifatius VIII 1235年 - 1303年10月11日)は、中世のローマ教皇(在位1294年 - 1303年)。フランス王と争い、晩年のアナーニ事件後、憤死する。
ローマ南東にあるアナーニの名門出身で、本名はベネデット・カエターニ(Benedetto Caetani)。ケレスティヌス5世の退位後、ローマ教皇に選出される。当時、ローマは繁栄期を迎えていた。
ボニファティウス8世は1300年を最初の聖年とした(これ以前には聖年を祝うことはなかった)。ローマには多くの巡礼者が集まり、教会の財政は潤った。ジョット・ディ・ボンドーネらの芸術家がローマに集まり、サン・ピエトロ大聖堂やサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂などが改修された。聖職者の養成を企図し、ローマ・ラ・サピエンツァ大学を設立した。
一方、フィレンツェの支配を意図して内紛(教皇支持の黒派対白派)を扇動する。1301年、ダンテ・アリギエーリはフィレンツェ使節の1人として教皇に会うが、帰途シエナに滞在中、永久追放の判決を受け、亡命生活を余儀なくされる。『神曲』の中でボニファティウス8世は地獄に堕ち、逆さまに穴に入れられ、燃やされている。
1303年、教会への課税を巡ってフランス王フィリップ4世と争い、破門にしようとするが、フランス使節と反教皇派のコロンナ家(ボニファティウス8世によって破門され、所領を没収されていた)が結び、アナーニの別荘にいた教皇を捕らえて侮辱を加えた。まもなく釈放されたが、屈辱をこうむった教皇の病状は悪化し、死去した(アナーニ事件)。
これ以降、教皇庁に対するフランスの圧迫は強まり、後のアヴィニョン捕囚を迎える(教皇のバビロン捕囚)。