herytage
千葉
Blues / Jazz / Rock
vox.gt カキザワユージ dr ジビキユータ Bass.Choウチオケコーイチ
2006年5月
イギリスにて音楽活動していたvo.gtカキザワユージ、RECORDINGを最後に長年付き合っていた彼女と結婚する為、帰国。
しかし彼女に「音楽をいつまで経っても辞めない」為、あっさりと振られ、鬼の様に凹む。
その後、引篭りを繰り返しながらthe monkey chews(ロンドンのバンド)に戻る為、再渡英を決意する。
2006年6月
カキザワ、失意の中、金を稼ぐ為に仕事に就く。
2006年8月
カキザワ、その後ロンドンに戻る間バンドをやる為に昔一緒にやっていたdrジビキユータ、bassウッチーを誘い、軽い気持ちでherytageを結成する。
しかし、drジビキ本人は1年間ドラム、音楽をやらずサーフィンばかりやっていた為、演奏は困難を極める。
2006年9月
カキザワ、渡英資金がなかなか貯まらない事、曲作りをしている間に意外と出来が良かったので試しにライブをしてみる。
カキザワ、仕事とバンド活動が楽しいので調子に乗りしばらく活動を続けてみる。
そして渡英する気持ちがだんだん失せていく。
2006年10月
ジビキが頭角を表し出す。
ウッチー、だんだん様子がおかしくなる。
カキザワ、バンドの良さにさらに調子に乗り始める。
2006年11月
カキザワ、思いの他日本の生活が楽しい為、日本に残る決意をする。
ウッチー、スランプに陥り自問自答を繰り返す様になる。
ジビキ、どんどん良くなる。
2006年12月
ウッチー、遂にバンドを辞める決意をする。
ジビキ、好調を維持する。
カキザワ、大晦日を迎え、日本に居た事を少し後悔する。
2007年1月
横浜FAD社長主催「YOKOHAMA MUSIC STYLE 2007」
第1回目に出演決定する。
その時ウッチーは出演出来ず、liquidのウッドベース、カツミ氏をヘルプに迎える。
カキザワ、ジビキ、共にウッドベースを欲しがる。
2007年3月
ウッチー、だんだん調子を取り戻しつつもラストライブを終えバンド脱退。
カキザワ、ジビキ、勿体無いと嘆きながら落ち込む。
ウッチー、反応無。
その後ヨシダダイキ加入。
レコーディング開始。初めての作業に一同困難を極める。
あまりの出来の悪さに一同、鬼の様に凹む。
ヨシダ、だんだん様子がおかしくなる。
そして一気に変貌を見せる。
2007年4月
ヨシダ、7月のライブを最後にバンドを辞める決意をする。
カキザワ、ジビキ、共に凹む。
2007年5月
レコーディング終了。マスターを受け取り、感激する。が、自分達の出来の悪さに更に鬼の様に凹む。そしてエンジニア飯高氏の手腕を褒めちぎる。
2007年6月10日
herytage企画"i am what i am"を木更津GRAPHにて主催。
カキザワ本人はi am what i amという言葉が気に入ってるらしく、事ある毎にこの名前を引用する。同タイトル名の曲には全く思い入れは無いらしい。
動員131人。
2007年7月
大物アーティストSNAIL RAMP&FUZZY CONTROLとの競演。
色々と勉強になる。
またこの辺りからライブでのウッチーの暴れ癖がつき始める。
2007年8月
herytage企画"i am what i am"vol.2を木更津GRAPHにて主催。
ゲストにCHILD STOPさんを迎え大いに盛り上がる。
動員101人。
またこの辺りから競演したKING BROTHERSさんの影響からかウッチーの暴れ癖が開花する。
その為カキザワ&ジビキは多大な被害をこうむった。
が、ウッチー本人はあまり気にはしていないらしい。
2007年9月
曲を作ってはいるがいまいち気に入らず、作っては没の苦悩の日々が続く。
が、カキザワ本人はあまり気にはしていないらしい。
それよりも金が無い日々に苦悩し続ける。
またこの頃ウッチーに負けじとメンバー全員が本格的にライブで暴れ始める。
その為動きに夢中になり、演奏レベルが低下する。
2007年11月
herytage企画"i am what i am"vol.3を木更津GRAPHにて主催。
ゲストにFUZZY CONTROLさんを迎え大いに盛り上がる予定。
イギリスにて音楽活動していたvo.gtカキザワユージ、RECORDINGを最後に長年付き合っていた彼女と結婚する為、帰国。
しかし彼女に「音楽をいつまで経っても辞めない」為、あっさりと振られ、鬼の様に凹む。
その後、引篭りを繰り返しながらthe monkey chews(ロンドンのバンド)に戻る為、再渡英を決意する。
2006年6月
カキザワ、失意の中、金を稼ぐ為に仕事に就く。
2006年8月
カキザワ、その後ロンドンに戻る間バンドをやる為に昔一緒にやっていたdrジビキユータ、bassウッチーを誘い、軽い気持ちでherytageを結成する。
しかし、drジビキ本人は1年間ドラム、音楽をやらずサーフィンばかりやっていた為、演奏は困難を極める。
2006年9月
カキザワ、渡英資金がなかなか貯まらない事、曲作りをしている間に意外と出来が良かったので試しにライブをしてみる。
カキザワ、仕事とバンド活動が楽しいので調子に乗りしばらく活動を続けてみる。
そして渡英する気持ちがだんだん失せていく。
2006年10月
ジビキが頭角を表し出す。
ウッチー、だんだん様子がおかしくなる。
カキザワ、バンドの良さにさらに調子に乗り始める。
2006年11月
カキザワ、思いの他日本の生活が楽しい為、日本に残る決意をする。
ウッチー、スランプに陥り自問自答を繰り返す様になる。
ジビキ、どんどん良くなる。
2006年12月
ウッチー、遂にバンドを辞める決意をする。
ジビキ、好調を維持する。
カキザワ、大晦日を迎え、日本に居た事を少し後悔する。
2007年1月
横浜FAD社長主催「YOKOHAMA MUSIC STYLE 2007」
第1回目に出演決定する。
その時ウッチーは出演出来ず、liquidのウッドベース、カツミ氏をヘルプに迎える。
カキザワ、ジビキ、共にウッドベースを欲しがる。
2007年3月
ウッチー、だんだん調子を取り戻しつつもラストライブを終えバンド脱退。
カキザワ、ジビキ、勿体無いと嘆きながら落ち込む。
ウッチー、反応無。
その後ヨシダダイキ加入。
レコーディング開始。初めての作業に一同困難を極める。
あまりの出来の悪さに一同、鬼の様に凹む。
ヨシダ、だんだん様子がおかしくなる。
そして一気に変貌を見せる。
2007年4月
ヨシダ、7月のライブを最後にバンドを辞める決意をする。
カキザワ、ジビキ、共に凹む。
2007年5月
レコーディング終了。マスターを受け取り、感激する。が、自分達の出来の悪さに更に鬼の様に凹む。そしてエンジニア飯高氏の手腕を褒めちぎる。
2007年6月10日
herytage企画"i am what i am"を木更津GRAPHにて主催。
カキザワ本人はi am what i amという言葉が気に入ってるらしく、事ある毎にこの名前を引用する。同タイトル名の曲には全く思い入れは無いらしい。
動員131人。
2007年7月
大物アーティストSNAIL RAMP&FUZZY CONTROLとの競演。
色々と勉強になる。
またこの辺りからライブでのウッチーの暴れ癖がつき始める。
2007年8月
herytage企画"i am what i am"vol.2を木更津GRAPHにて主催。
ゲストにCHILD STOPさんを迎え大いに盛り上がる。
動員101人。
またこの辺りから競演したKING BROTHERSさんの影響からかウッチーの暴れ癖が開花する。
その為カキザワ&ジビキは多大な被害をこうむった。
が、ウッチー本人はあまり気にはしていないらしい。
2007年9月
曲を作ってはいるがいまいち気に入らず、作っては没の苦悩の日々が続く。
が、カキザワ本人はあまり気にはしていないらしい。
それよりも金が無い日々に苦悩し続ける。
またこの頃ウッチーに負けじとメンバー全員が本格的にライブで暴れ始める。
その為動きに夢中になり、演奏レベルが低下する。
2007年11月
herytage企画"i am what i am"vol.3を木更津GRAPHにて主催。
ゲストにFUZZY CONTROLさんを迎え大いに盛り上がる予定。