DOUBLE NEGATIVE
東京
Punk / Ska
Sakurada Haruki(Gt&Vo), Ueno Kazuma(Ba&Cho), Kiyomiya Taku(Dr&Vo), Matsumoto Shinichiro(A.sax&Cho), Kono Shinya(T.sax)
96年に都立芸術高校で出会った3人が、「Beef Up The Careless By Anagy」というオルタナバンドを結成したのが始まり。当時、どちらかと言えば音痴だった上野(Ba)がメインボーカルを勤めている事や、バンド名がやたらに長過ぎる事を理由に半年で解散。すぐさま「DOUBLE NEGATIVE」と改名。新たな気持ちで始めようとしたその時、上野のニュージーランド留学が決定。残されたメムバーは仕方がないので、とりあえずイラストとか描いてひっそりと暮らした。
1年を待たず、ホームシックを理由に上野が帰国。半ば中途半端的なバイリンガルが他のメムバーをいらだたせる。が、とりあえず活動再開。
2000年、櫻田(Gt)の高校時代の友人、S藤が中学の時に仲が良かったH田のサークルに所属する、O野の飲み友達、松本(A.sax)が加入。その松本が所属していた、学習院大学のジャズサークルの仲間、河野(T.sax)と、松尾(T.bornで女子!)も加入。3ピース+ホーンという新たな形態での活動が始まる。
02年、自身のレーベルNEGATRIBEから4曲入りシングル「Hello, my friend! EP」をリリース。音質、音低、共々最悪という結果にメンバーは誰一人気付かず、300枚分きっちり恥をさらす結果となる。
03年、People's Recordsと契約。すぐさまフルアルバムのレコーディング準備に取りかかるが、ジャケットデザインからレコーディングまで、全て自分達の手で作りたいという欲求と、それに伴う膨大な構想やイメージ、それらを処理する前に、肝心な歌詞を考えていないという予期せぬトラブルなどにより、アルバム完成までに2年の歳月を費やす。
05年9月、念願の11曲入りフルアルバム「Don't peel it off, and Don't pull it off!!」を発売。世界はここから変わるはずだったが、二ヶ月後にメムバーがブックオフの300円コーナーで売られているのを発見。これにはさすがに落ち込んだ。
06年4月、リリースしたアルバムを引っさげ、怒濤の台湾ツアーを敢行。台北→台中→嘉義→高雄と、各所に点在するライブハウスや本屋さんを廻り、さらに最南の懇丁で開催される巨大インディーズフェス、Spring Scream Dog Festivalに参戦。数千人のオーディエンスの前で、緊張したライブを披露する。
同じ年の7月、カッティングエッジの企画オムニバス、「Movie Ska」に参加。初のメジャー進出!夢の印税生活!などと騒がれたが、結果空気読めよ的な内容と、ジュースも買えないくらいの印税通知書が、エイベックスの封筒で送られて来たとき、メムバーはさすがに落ち込んだ。(続く)
1年を待たず、ホームシックを理由に上野が帰国。半ば中途半端的なバイリンガルが他のメムバーをいらだたせる。が、とりあえず活動再開。
2000年、櫻田(Gt)の高校時代の友人、S藤が中学の時に仲が良かったH田のサークルに所属する、O野の飲み友達、松本(A.sax)が加入。その松本が所属していた、学習院大学のジャズサークルの仲間、河野(T.sax)と、松尾(T.bornで女子!)も加入。3ピース+ホーンという新たな形態での活動が始まる。
02年、自身のレーベルNEGATRIBEから4曲入りシングル「Hello, my friend! EP」をリリース。音質、音低、共々最悪という結果にメンバーは誰一人気付かず、300枚分きっちり恥をさらす結果となる。
03年、People's Recordsと契約。すぐさまフルアルバムのレコーディング準備に取りかかるが、ジャケットデザインからレコーディングまで、全て自分達の手で作りたいという欲求と、それに伴う膨大な構想やイメージ、それらを処理する前に、肝心な歌詞を考えていないという予期せぬトラブルなどにより、アルバム完成までに2年の歳月を費やす。
05年9月、念願の11曲入りフルアルバム「Don't peel it off, and Don't pull it off!!」を発売。世界はここから変わるはずだったが、二ヶ月後にメムバーがブックオフの300円コーナーで売られているのを発見。これにはさすがに落ち込んだ。
06年4月、リリースしたアルバムを引っさげ、怒濤の台湾ツアーを敢行。台北→台中→嘉義→高雄と、各所に点在するライブハウスや本屋さんを廻り、さらに最南の懇丁で開催される巨大インディーズフェス、Spring Scream Dog Festivalに参戦。数千人のオーディエンスの前で、緊張したライブを披露する。
同じ年の7月、カッティングエッジの企画オムニバス、「Movie Ska」に参加。初のメジャー進出!夢の印税生活!などと騒がれたが、結果空気読めよ的な内容と、ジュースも買えないくらいの印税通知書が、エイベックスの封筒で送られて来たとき、メムバーはさすがに落ち込んだ。(続く)