Nov21
人体の不思議
2008年11月21日 TOM
うす暗い部屋の中、一人物思いに耽る。




男はバスローブを羽織り、ソファにゆったりと身体を沈めている。見るともなく見つめるその視線の先には、ロウソクの火にぼんやり揺れる琥珀色のブランデー。その眼には、誰にも見通せない深い憂いが浮かんでいた。

部屋は静かだ。ただ時折、ブランデーに浮かぶ氷が、グラスを鳴らすのみである。



男は物思いに耽る。




「毛」、についてである。



毛は人間の守るべきところに生えるという。

頭に毛が生えるのは、頭は脳を仕舞っている大切なところだから。

脇に毛が生えるのは、そこが人間の致命的な急所の一つだから。

あの辺に毛が生えるのは、人類の存続に必要不可欠だから。



鼻毛だってそうだ。現代人、特に若者、特に女性がその存在を忌み嫌うものの一つであるが、もしも鼻の中がツルッツルだったならばウィルスや細菌がすぐ身体に入り込み、あっという間に病気になってしまうであろう。

今となっては、いつもいつも嫌われてばかりの可哀想な鼻毛氏であるが、空気中に散乱するばい菌が身体に入ってしまう前に、あの毛がキャッチしてくれているのだ。



それを踏まえて、さらに男は物思いに耽る。



先日、男はあごに大きなダメージを負った。

あっっあつの牛乳入りのコーヒーをすすったところ、あっっつあつの牛乳の膜があごに‘ペッッターン’って張り付いたのである。

まさに青天の霹靂とも言えるその瞬間、不倶戴天の絶叫を一人あげた。彼は泣いた。あまりの熱さに。衝撃に。

なぜだ。なぜこんな目に合わなければならないのだ。神はなぜゆえに、自分の、よりによってあごに、このような重荷を負わせるのか。



いや、と男は思い直す。

彼はあごにひげを生やしている。もしも、あごひげが生えていなかったとしたら。もしも、爽やかなツルッツルのあごだったとしたら。

想像するだにおぞましい。あごひげがあって、あれだけの衝撃だったのだ。ひげがなかったら、きっと簡単にあごをもっていかれていたであろう。



というこは、と男の思考はさらに深く沈んでゆく。

我が身体は、自分のあごが危険にさらされるであろう、ということを本能的に察知していたのではあるまいか。この男は将来あごを火傷するという愚行を犯す男に違いない、ということを予見していたのではないか。

人体とは、なんと不思議なことか。なんと複雑怪奇なシステムを構築しているのだろう。



こうして、男は自らのあごひげを愛おしげに撫で回すと、静かに眠った。




このようにして、トムは睡眠時間の無駄遣いをしていくのである。



*注)冒頭のブランデーうんぬんのフレーズは、多少の脚色がなされています。
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