好きだ。愛している。狂おしいほど。
コーンフレークを。
コーンフレークが大好きなのである。
朝、まだ脳も体もまったく機能していない身体は、無意識に冷蔵庫へ。まるでそれのためだけに生み出されたロボットのように牛乳・器・コーンフレークを用意する。
器いっぱいにコーンフレークをドサドサ入れ、牛乳をジャバジャバ注ぎ、めざましTVで‘今日のわんこ’を観ながらシャクシャクモリモリ食べ続ける。
先日、記事のタイトルに「生乳」とつけたばかりであるのに関わらず、今度は「乳」としてしまったことに尋常ならざる心苦しさを感じるが、こればかりはいたしかたない。御容赦いただきたい。
コーンフレークが、大好きなのである。
コーンフレークフリークといっても過言ではない。
コーンフリークフレークだとちょっと怖い。そうではなく、コーンフリークフレークである。ん?フレークのフリークだからコーンフレークフリークである。
えっと、、なんか面倒だがとにかく、コーンフリークが大好きだ。
朝・コーンフレーク、夜・コーンフレークという日もよくある。
その昔、アメリカから海を渡ってやってきたコーンフレーク。
今ではさまざまな会社からさまざまな種類のシリアル商品が発売されているが、トムは昔からケロッグ社の‘コーンフロスティ’を御ひいきにしている。
一枚一枚のコーンフレークたちに砂糖をまぶした、あれだ。
まるで自分の子供一人一人にそっと布団をかけてあげる母親のように、一枚一枚のフレークを純白の粉雪のような愛(砂糖)でやさしく包んでいる。
ちなみに、ケロッグ社の‘ケロッグ’とは、人の名前だ。アメリカのウンチャラカンチャラ・ケロッグ博士という人が、コーンフレークをこの世に生み出し、立ち上げた会社がケロッグ社だ。『ケロッグ博士』という小説もあるし、映画だってある。
偉大な人である。ケロッグ博士がこの世にいなかったら、トムはここまで丈夫に生きてこれなかっただろう。
幼稚園・小学生のころから家に一人のときが多かったから、毎朝コーンフレークを食べ、帰ってきてから再びコーンフレークをおやつにした。飼っていた犬にもこっそり分けて、一緒に食べていたものだ。
生まれて初めて作った料理が、そして最初の得意料理が、コーンフレークだった。
‘コーンフロスティ’。皆さんも一度は食べたことがあるのではないだろうか。食べたことがなかったら、人生の半分は損をしている。
ちっちゃいころ、この‘コーンフロスティ’のCMがよくやっていて印象的であった。パッケージにも描かれているトラが、「むぉぅぐわまんでくぃぬぁいっ!」(「もう我慢できない」)、といいながらコーンフロストを食べる。食べた直後、「ぐぅぅぅぅぅれいとぉぉっっっ!」(「グレイト」)と叫ぶ。
‘ごちそうさま’くらい言えよ、と子供心に思ったものだ。
トムなりの食べ方がある。
まず、器にコーンフロスティをザーザー入れる。
フレーク達が器に注がれるその音は、さながら早朝浜辺に打ち寄せる波のようである。
女人に耳元で囁きかけられているかのようでもある。「今日も豪快に行くのね、あなたったら、ふふふ」、みたいに聞こえる。
次に、牛乳をザブザブ注いでゆく。
その際フレーク達がぶつかり合う音は、さながら波に遊ばれた砂利や貝殻が奏でるシンフォニー。
「ふふふ、やだあなたったら、こんなにたくさん注いじゃって、おぼれちゃうおぼれちゃう~」、みたいに聞こえる。
ここで急いて本番に入ってはならない。ここは心落ち着かせ、じらしてみるのも一興であろう。
フレークを包んでいる愛(砂糖)が牛乳に溶け出すまで、そしてフレークが少しシナっと、つまり従順になるまでの間、コーヒーを淹れる。
この際、「じらしちゃイヤっイヤっ、はやくしてお願い~」、みたいに聞こえる。
「おやおや悪い子だ、まだだめだよ、そこでしばらくそうしていな、このメスフレークが」、とばかりにコーヒーをすする。
メスフレークが、、いやフレーク達が従順になったころあいを見計らい、スプーンにてジャブジャブ混ぜる。
この際、「もう我慢できないの、あたしすっかり甘くなっちゃったの、はやくっはやくして~」、みたいに聞こえる。
「よしよしいい子だ、素直になったね、じゃあいくよ」、とばかりにフレークをスプーンですくう。
CMのトラのように、それこそ獣のように、一気に口に入れる。
「あ~すごいっ、そんなことっ、今日も大胆だわっ、イヤ~っ」
「ほらほらほら、これがいいんだろ全くしょうがない奴だ」。時にやさしく口に含み、時に激しくくらいつく。
愛(砂糖)で甘くなった牛乳を、最後の一滴まで飲みつくし、果てた後は、天に向かってこう叫ぶ。
「ぐぅぅぅぅぅれいとぉぉっっっ!」
こうしてトムの一日は始まる。
コーンフレークを。
コーンフレークが大好きなのである。
朝、まだ脳も体もまったく機能していない身体は、無意識に冷蔵庫へ。まるでそれのためだけに生み出されたロボットのように牛乳・器・コーンフレークを用意する。
器いっぱいにコーンフレークをドサドサ入れ、牛乳をジャバジャバ注ぎ、めざましTVで‘今日のわんこ’を観ながらシャクシャクモリモリ食べ続ける。
先日、記事のタイトルに「生乳」とつけたばかりであるのに関わらず、今度は「乳」としてしまったことに尋常ならざる心苦しさを感じるが、こればかりはいたしかたない。御容赦いただきたい。
コーンフレークが、大好きなのである。
コーンフレークフリークといっても過言ではない。
コーンフリークフレークだとちょっと怖い。そうではなく、コーンフリークフレークである。ん?フレークのフリークだからコーンフレークフリークである。
えっと、、なんか面倒だがとにかく、コーンフリークが大好きだ。
朝・コーンフレーク、夜・コーンフレークという日もよくある。
その昔、アメリカから海を渡ってやってきたコーンフレーク。
今ではさまざまな会社からさまざまな種類のシリアル商品が発売されているが、トムは昔からケロッグ社の‘コーンフロスティ’を御ひいきにしている。
一枚一枚のコーンフレークたちに砂糖をまぶした、あれだ。
まるで自分の子供一人一人にそっと布団をかけてあげる母親のように、一枚一枚のフレークを純白の粉雪のような愛(砂糖)でやさしく包んでいる。
ちなみに、ケロッグ社の‘ケロッグ’とは、人の名前だ。アメリカのウンチャラカンチャラ・ケロッグ博士という人が、コーンフレークをこの世に生み出し、立ち上げた会社がケロッグ社だ。『ケロッグ博士』という小説もあるし、映画だってある。
偉大な人である。ケロッグ博士がこの世にいなかったら、トムはここまで丈夫に生きてこれなかっただろう。
幼稚園・小学生のころから家に一人のときが多かったから、毎朝コーンフレークを食べ、帰ってきてから再びコーンフレークをおやつにした。飼っていた犬にもこっそり分けて、一緒に食べていたものだ。
生まれて初めて作った料理が、そして最初の得意料理が、コーンフレークだった。
‘コーンフロスティ’。皆さんも一度は食べたことがあるのではないだろうか。食べたことがなかったら、人生の半分は損をしている。
ちっちゃいころ、この‘コーンフロスティ’のCMがよくやっていて印象的であった。パッケージにも描かれているトラが、「むぉぅぐわまんでくぃぬぁいっ!」(「もう我慢できない」)、といいながらコーンフロストを食べる。食べた直後、「ぐぅぅぅぅぅれいとぉぉっっっ!」(「グレイト」)と叫ぶ。
‘ごちそうさま’くらい言えよ、と子供心に思ったものだ。
トムなりの食べ方がある。
まず、器にコーンフロスティをザーザー入れる。
フレーク達が器に注がれるその音は、さながら早朝浜辺に打ち寄せる波のようである。
女人に耳元で囁きかけられているかのようでもある。「今日も豪快に行くのね、あなたったら、ふふふ」、みたいに聞こえる。
次に、牛乳をザブザブ注いでゆく。
その際フレーク達がぶつかり合う音は、さながら波に遊ばれた砂利や貝殻が奏でるシンフォニー。
「ふふふ、やだあなたったら、こんなにたくさん注いじゃって、おぼれちゃうおぼれちゃう~」、みたいに聞こえる。
ここで急いて本番に入ってはならない。ここは心落ち着かせ、じらしてみるのも一興であろう。
フレークを包んでいる愛(砂糖)が牛乳に溶け出すまで、そしてフレークが少しシナっと、つまり従順になるまでの間、コーヒーを淹れる。
この際、「じらしちゃイヤっイヤっ、はやくしてお願い~」、みたいに聞こえる。
「おやおや悪い子だ、まだだめだよ、そこでしばらくそうしていな、このメスフレークが」、とばかりにコーヒーをすする。
メスフレークが、、いやフレーク達が従順になったころあいを見計らい、スプーンにてジャブジャブ混ぜる。
この際、「もう我慢できないの、あたしすっかり甘くなっちゃったの、はやくっはやくして~」、みたいに聞こえる。
「よしよしいい子だ、素直になったね、じゃあいくよ」、とばかりにフレークをスプーンですくう。
CMのトラのように、それこそ獣のように、一気に口に入れる。
「あ~すごいっ、そんなことっ、今日も大胆だわっ、イヤ~っ」
「ほらほらほら、これがいいんだろ全くしょうがない奴だ」。時にやさしく口に含み、時に激しくくらいつく。
愛(砂糖)で甘くなった牛乳を、最後の一滴まで飲みつくし、果てた後は、天に向かってこう叫ぶ。
「ぐぅぅぅぅぅれいとぉぉっっっ!」
こうしてトムの一日は始まる。
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