Apr10
ひすとりぃ
2007年4月10日 ねっくん
昨日の日記のついでに、せっかくなので歴史の魅力について語りたいと思う。

俺の独断で 思う 一番の魅力は以下の「3つの事象の絡み合い」である。

1.過去に起こった非日常な出来事や変革の痕跡

2.1以外の平穏に栄えた文化の痕跡

3.フィクションとノンフィクションの混在



1とは日本では「大化の改新」「壇ノ浦の戦い」「応仁の乱」等であり、世界では「3大文明」「釈尊の誕生」「十字軍進攻」等の事件。

2は日本では「日本書紀」「奈良の大仏」「平家物語」「解体新書」等であり、世界では「ロゼッタストーン」「デカメロン」「落穂拾い」等の書物や芸術。

そして3である。


つまりは、<1「事件」>を知るために<2「書物等」>を使うのであるが、3の通り”それが事実であるか創造物であるか”は検証の手段がないに等しい。

例えば

「お釈迦様はワキの下から生まれ、すぐに二足歩行して天を指差し”天上天下唯我独尊”とおっしゃった」

そんなの信じられますかいな!!と。


もう少しまともな例を出そう。

15世紀ルーマニア・ワラキア地方の公爵ウラド3世は、貴族ですらも「串刺しの刑(時には生きたまま)」に処する事からウラド・ツェペシュ(ツェペシュ=串刺し)と呼ばれた。またその異常な残酷性からウラド・ドラキュラ(ドラキュラ=竜の子)とも恐れられた。
後に吸血鬼伝説とあいまって作家ブラム・ストーカーによって「ドラキュラ伯爵」のモデルになった。

と言われている。これが正しい歴史というのが定説である。


のだが、こういった仮説もある。

ドラキュラはルーマニア語で「竜の子」あるいは「悪魔の子」という意味らしいのだが、ウラド3世はウラド2世の次男であり、その2世はローマ帝国から<竜騎士>に任命されていた。異名は「ウラド・ドラクル(ドラコ=竜)」。同時に彼は「悪魔公」とも呼ばれている(←この理由までは知りません;;)。
つまりは、「竜の子」「悪魔公の子」→「ドラキュラ」である。
また、串刺しの刑というのは当時のキリスト・イスラム教国どちらにしても珍しいものではなかった。
そして彼は、母国をオスマン帝国からの攻勢に何度も耐えた英雄とも言われている。



さて、どうでしょう?
ウラド3世は異常な残酷性により恐れられていたのでしょうか?
俺はただこう思うのです。

「出る杭は打たれる」

彼は自分で<ウラド・ドラキュラ>とサインした事もあると言われている。いや、これは残っているのかな?

「私、ドラキュラですが、何か?」

って開き直りなんじゃないかと思うわけです。

彼が異常者か正常者かは謎のまま。


面白いとおもいません?

おもいませんか、、、スミマセン。

ちなみに男吸血鬼「ドラキュラ」に対し女吸血鬼「カーミラ」も有名ですが、モデルはいないらしいです。
俺が知ってることで、事実なのは「ドラキュラ」以前に書かれたレズ吸血鬼小説のタイトルであるってことくらい(笑)

ま、本当の事の内幾つかは闇に葬られるわけです。捏造もされるわけです。

「都合の悪い書物を集めて焼かせた王様」もいたわけですし。

そりゃ独裁政権なら、都合のいい本ばっか書かせるなんてワケないですもんねw

北方領土問題や慰安婦問題だって平和な現代だからこそ問題にできるわけですよ。

っと、この辺にしておきましょう。

このままだと「終戦」じゃないよ「敗戦」だよ
とか話題がずれてしまいそうなので・・・w


まとめますと、格式の高そうな歴史的文献なんて実は「桃太郎」レベルの信憑性であることが多いと。

ね?魅力的でしょ?

って若干違うかw
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