Jun12
三沢光晴
2010年6月12日 SAGA
数年前、ちょうど今ヒストリーで書いてる頃だったと思う。クスミがコッチに帰省して来ていて、いつものパターン、メシ(支払いオレ)→ドライブ(車はオレんの。要するに “アゴアシ持ち” でクスミはプリンス王子)でお互いの近況報告という名の与太話しをしていた時の事

ヤザワがドラマーとなってから数ヶ月、演奏のまとまりは上がり思い描いたイメージが色を出し始めた。そうなると自分の歌声クオリティが気になって仕方ない
バンドの黎明期にオオタのマスターから言われた


「オマエ、一番最後には自分のボーカルが気になるはずだよ。オマエはきっとそう!(胃袋には多量のビールで酔拳マスター)」


そう言われてから約7年、オッサン予言的中strikeでオレ完敗。実際現在も模索ingなんだけど、あの頃はマジ盛りに悩みくさりやがっていた
そんな話しをクスミ(王子様)としていてオレはこう言うわけ


オレ 「遠藤ミチロウってスゲエ歌声だよなぁ。ありゃホントものスゲエ」

クスミ(若様) 「スゴイです! ミチロウさんは本当にスゴイです! あの人は別でしょう」



“あの人は別でしょう”

????????オイオイ、そりゃないんじゃねえの??????

ステージに立ち、知り合いからアカの他人まで多くの人達に自分自身を見せるというククりではミチロウもオレ達も変わりないはず。ミリオンセラー連発バンドも路上の歌手もみーんな一緒。「あぁ、太刀打ち出来ないなぁ、敵わない、次元が違うよ」なんて思った時点でそこから先は no gain になっちまう。勝つとか負けるとかの話しじゃねえよ。いいモノからは何か一つ、ほんの少しでも吸収していこうぜ! 目ん玉ハートにして観てる場合じゃねえぜ!


クスミ(一般市民) 「はいっっっっ!!!!」



この講釈タレた事は現在でも “テメエの掟” のひとつであり、どんなボーカリストを観てもオレの目ん玉がハートになる事は原則無い(かといって敵視も無い)
が、そんな強情っぱりのオレでも心から夢中になり一心不乱に応援する人がいた




三沢光晴




その人であった

まず知らない野郎はいないと思うが、昨年三沢は死んだ。我が身の舞台であるリングで死んだ。 “その人であった” と過去形になったのはそのため


去年2009年6月6日はオレ達の10周年だった。土曜日という巡り合わせもありライブを行い、珍しく事前告知もしてアチラコチラから大勢来てくれた。ライブはブッチギリに大盛況でその後の打ち上げも含め大暴れ。ヒジョーに楽しい大感謝の10th anniversaryサタデーナイトだった
その翌日から事後処理を進め、thanksメールやライブ映像編集なんかして過ごしていた。10周年から一週間経った13日土曜日、バンド関係とは別の飲み会に出席。音楽等の話しは無く世間話とバカ話しでゆったり飲んだ。先週とはうって変わった雰囲気。これはこれで楽しい時間だった

酔っパライの千鳥足でフラフラ帰宅。2ちゃんねる観て笑うかとpcをon 起ち上がったホームのヤフートピックスには


“三沢さん、リングで死亡”


思考が止まった。もちろん酔いなんかフッ飛ぶ。一瞬訳が分からず関連ニュースを観た。


「.......やっぱりだ.......三沢の事だ.......三沢が死んだ!!.......」


去年は確か多くの著名な人達が亡くなったと記憶している。忌野清志郎もそうだった。その年に限らずこれまでも自分にとって巨星だった人達が亡くなっていった。松田優作、ジョー ストラマー、思い出せば尽きない。
その中でも三沢の訃報は家族を除いてショックの度合いは最大クラスだった。 “信じられない” その言葉しかオレにはなかった


三沢光晴はオレのヒーローだった。他の誰よりもオレのヒーローだった。当然直接知るわけはないし恥ずかしながら生で試合を観た事もない。数万人が訪れたお別れ会にも行かなかった。それでも三沢はオレのヒーローでありオレは三沢のファンの一人だ。これは一生変わらない
その試合を観ると感動する。四の五の抜きで感動する。もっと言えば涙が出る。感動し涙が出る。あんな男はそうは居ない。

“義理人情に篤く誠実で男らしい素晴らしい人”

オレにとって三沢はそういう人だ



書いていてあの時の悲しい気持ちが蘇ってくる。
でも暗く塞ぎ込んだ気持ちになんてオレは絶対にならない
明日は三沢の一周忌。
でもうつむき涙に暮れるなんてオレは絶対しない



それはオレは三沢のファンの一人だから!




よろしく勇気

http://www.youtube.com/watch?v=HDeb2zp-AOk&feature=related
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