よく質問される事がある。特別気にしてるわけじゃねえけど、ホントよく訊かれる事
“ローンスターって最初からメンバーチェンジは無しですよね?”
2、3年前くらいからかな。初対面からちょっと親しくなり始めた頃の人達がちょぼちょぼオレにこんな感じの話しを振ってくる。
“そんな事ねえさ! 以前はメンバーチェンジが頻繁で、今の4人に落ち着くまでは悪い思い出の方が全然多いねえ!”
ほとんどのバンドがそうであるように、メンバーを固めるのにはオレ達も少し苦労した。
今日はそんな頃の話し。
このローンスターの前のバンドではジェットはサイドギター、オレはベースを弾いていた。そのバンドは高校生時の友達が集まったもので、当時は真剣そのものだったが今思うと“お友達ロックバンド”だった(良くも悪くも)。
で、そのバンドでは満足出来なくなったジェットとオレはドラマーを誘って新しいバンドを組む事にした。
新しいバンドではオレはボーカルに名乗りを上げ、ジェットはメインギター、というより「パンクロックバンドにギターは2本必要無え!」というポリシーの下ギタリストに。ドラマーはそのままスライド。
と、ここまでは良かったがベースがいねえ。そんで話しを持ってったのがマサキ。
野郎も組んでいたバンドが行き詰まりプラプラしていた(なぜ行き詰ったのかはその時のマサキに原因有り。知りたがりなヤツは本人にask him)。
元々ギタリストだったヤツを強引にベースに据えて、まずはバンドの形になる。そしてバンド名を“THE LONESTAR”としてスタートした。この時は新バンド立ち上げって事で燃えていた。行く先には希望だけしかなかった。イキがりツッパっていたが確かに燃えていた(我が愛するjapan国首相弟やタレント弁護士くずれの府知事は現在燃えているのか?)
お披露目ライブは1999年6月6日。場所はBIG BEAT(今のロケットピンク)。そのライブの出来は店のマスターのセリフ「なんじゃコリャ????」が全てを表していた。
ツッパり上げた果ての暴走×暴走で大迷惑なオナニーライブ。それでもロクすっぽ反省せずこんな自己満足だけのステージがしばらく続いた。そのバカ丸出しを何かと面倒を見てくれたBIG BEATマスター、オオタの親父には今でも感謝いている。あんな人はなかなか居ないし、みんなあの人みたいだったら社会が成り立たない程のアクの強い人だった。
そんなBIG BEAT拠点の頃マサキから「バンドを辞めたい」と話しがあった。まあ諸事情によりってヤツだったがその時はその気持ちを受け入れバンドを去ってもらった(マサキ バツイチ)。
こうなるとメンバー探しになるわけだけど、割と難無く見つかった。知り合いのハニーの弟でタッパが高くガタイもデカイ。口数も少なくチョット見コワモテ(ホントはものスゴーク優しい。比べるとクスミの方が腹黒く偽善者なほどに優しいヤツだった)。
ベースもそこそこ弾けたため加入決定。が、1年であえなく脱退(優しすぎたため付き合いきれなかった)。
メンバー探しagain
ケンカしていたオオタのマスターが探してくれて一人連れてくる。高校三年生のランシド好き小僧でパンクに興味があるって事(オレは未だにランシドはバンド名しか知らない。いいのか?)
スタジオに入り軽く合わせてみる。テレテレしたベースラインだったがとりあえず採用で加入。
そうこうしてると今度はドラマーが抜けると言い出した。コイツも気持ちは動かないって感じだったため「いいよ。お疲れさん」と去ってもらった。
長く付き合ったヤツだったが寂しさはあまり無かった。寂しいとか言うよりも「探さなきゃ」が断然強かった。
メンバー探しagain×agin
今度はドラマーだ。ドラマー人口は圧倒的に少ないし大変だぞ。とにかく動こう!
あっさり見つかる。完全ヘルプでお助けだったけどすぐに見つかった。
なんとかバンド形態を維持し活動を止める事は避けられた。だが所詮はヘルプ。す~ぐに脱退。
やれやれ。やれやれ。やれやれ。やれやれ。やれやれ。
メンバー探しagain×agin×againにつづく
“ローンスターって最初からメンバーチェンジは無しですよね?”
2、3年前くらいからかな。初対面からちょっと親しくなり始めた頃の人達がちょぼちょぼオレにこんな感じの話しを振ってくる。
“そんな事ねえさ! 以前はメンバーチェンジが頻繁で、今の4人に落ち着くまでは悪い思い出の方が全然多いねえ!”
ほとんどのバンドがそうであるように、メンバーを固めるのにはオレ達も少し苦労した。
今日はそんな頃の話し。
このローンスターの前のバンドではジェットはサイドギター、オレはベースを弾いていた。そのバンドは高校生時の友達が集まったもので、当時は真剣そのものだったが今思うと“お友達ロックバンド”だった(良くも悪くも)。
で、そのバンドでは満足出来なくなったジェットとオレはドラマーを誘って新しいバンドを組む事にした。
新しいバンドではオレはボーカルに名乗りを上げ、ジェットはメインギター、というより「パンクロックバンドにギターは2本必要無え!」というポリシーの下ギタリストに。ドラマーはそのままスライド。
と、ここまでは良かったがベースがいねえ。そんで話しを持ってったのがマサキ。
野郎も組んでいたバンドが行き詰まりプラプラしていた(なぜ行き詰ったのかはその時のマサキに原因有り。知りたがりなヤツは本人にask him)。
元々ギタリストだったヤツを強引にベースに据えて、まずはバンドの形になる。そしてバンド名を“THE LONESTAR”としてスタートした。この時は新バンド立ち上げって事で燃えていた。行く先には希望だけしかなかった。イキがりツッパっていたが確かに燃えていた(我が愛するjapan国首相弟やタレント弁護士くずれの府知事は現在燃えているのか?)
お披露目ライブは1999年6月6日。場所はBIG BEAT(今のロケットピンク)。そのライブの出来は店のマスターのセリフ「なんじゃコリャ????」が全てを表していた。
ツッパり上げた果ての暴走×暴走で大迷惑なオナニーライブ。それでもロクすっぽ反省せずこんな自己満足だけのステージがしばらく続いた。そのバカ丸出しを何かと面倒を見てくれたBIG BEATマスター、オオタの親父には今でも感謝いている。あんな人はなかなか居ないし、みんなあの人みたいだったら社会が成り立たない程のアクの強い人だった。
そんなBIG BEAT拠点の頃マサキから「バンドを辞めたい」と話しがあった。まあ諸事情によりってヤツだったがその時はその気持ちを受け入れバンドを去ってもらった(マサキ バツイチ)。
こうなるとメンバー探しになるわけだけど、割と難無く見つかった。知り合いのハニーの弟でタッパが高くガタイもデカイ。口数も少なくチョット見コワモテ(ホントはものスゴーク優しい。比べるとクスミの方が腹黒く偽善者なほどに優しいヤツだった)。
ベースもそこそこ弾けたため加入決定。が、1年であえなく脱退(優しすぎたため付き合いきれなかった)。
メンバー探しagain
ケンカしていたオオタのマスターが探してくれて一人連れてくる。高校三年生のランシド好き小僧でパンクに興味があるって事(オレは未だにランシドはバンド名しか知らない。いいのか?)
スタジオに入り軽く合わせてみる。テレテレしたベースラインだったがとりあえず採用で加入。
そうこうしてると今度はドラマーが抜けると言い出した。コイツも気持ちは動かないって感じだったため「いいよ。お疲れさん」と去ってもらった。
長く付き合ったヤツだったが寂しさはあまり無かった。寂しいとか言うよりも「探さなきゃ」が断然強かった。
メンバー探しagain×agin
今度はドラマーだ。ドラマー人口は圧倒的に少ないし大変だぞ。とにかく動こう!
あっさり見つかる。完全ヘルプでお助けだったけどすぐに見つかった。
なんとかバンド形態を維持し活動を止める事は避けられた。だが所詮はヘルプ。す~ぐに脱退。
やれやれ。やれやれ。やれやれ。やれやれ。やれやれ。
メンバー探しagain×agin×againにつづく
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