cocoaです。。
私のプチヒストリーをご紹介します!
そもそもこの不思議な力(スピリチュアルな力)
に気が付いたのは、まだ幼稚園に入る前の頃でした。
母いわく、ちょっと変わった子供だったようです。
例えば、トランプゲームをしている時、裏返しになっている
カードの表が全て浮き出て見えてしまったり、空気中に住んでいるお友達や、動物と話をしたり、地震がくる前になるとテーブルの下に隠れていたり・・・。
自分ではそれが当たり前のことだったのですが、
初めは面白がっていた両親も次第に心配になり、
私もそれを察してからは段々と力が閉じていきました。
ただ、人一倍怖がりで敏感すぎるところは変わらず、
幼稚園や小学校では登校拒否で、随分と両親を困らせた
みたい。。
しかしそんな私が中学卒業と共に、イギリスへ単身留学。
その理由は二つありました。
一つは日本の教育制度に疑問があり、将来はそれを改善する仕事をしたいと思ったので、まずは自分が海外で教育を受けてみたかったから。
もう一つは、歌や演技を英語で出来るようになりたかった
からです。
二つは全く違う夢でしたが、どちらにも興味がありました。
イギリスでは三年間普通の現地高に通い、
大学まで入ったのですが、結局大学一年目で中退して
日本に帰国。
どうしても音楽の道に行きたかったから。
そして日本での大学も就職先も決めないまま帰ってきたので、そこからはアルバイトをしながら歌える環境を探していました。
そんなある日、友人の紹介である作曲家さんと出会います。
彼はまだ無名の作曲家さんでしたが、初めて彼の曲を聴いた時、なんだか懐かしい気持ちになって涙が溢れ出しました。
この人と一緒に音楽をやったら、きっと素晴らしいものが出来るだろうと確信し、同時に彼も私の歌声を気に入ってくれたので、二人で楽曲制作を始めました。
そこからはトントン拍子で、たまたま某大手レコード会社に
デモテープを送ったことで、私たちの楽曲が採用され、
そのまますぐに契約になりました。
ただ、私はシンガーとしてではなく、作詞家として。
その時20歳だった私は年齢的に遅いということと、
まだいまいち可能性が分からないということで、
まずは作詞家として名前を売ってからということになった
のです。
初めのうちは表舞台で輝くアーティストさんがとても羨ましかった。
私がしたいことをしている訳だから。。
でもその方々をサポートさせてもらえることも、
したくても出来ない人だっているんだと父から言われた
のです。
私は恵まれていると思いました。
それからは気持ちを入れ替え、作詞のお仕事を頑張ることに決めました。
私は、ひたすら裏方に撤したのです。
けれどしばらくしてパートナーだったその作曲家さんとも一緒に仕事をする機会も減っていき、意見もすれ違うようになり、結局私たちは別々の道を歩み始めました。
そして月日は流れ、レコード会社と契約を交わしてから
約四年が経った頃、いつの間にかシンガーになるという夢を諦めかけていた私がいました。
そんな時、父が癌になりました。
まだ初期だから手術をしなくても、放射線で治療が出来る
ということだったので、その他にも自然治療を平行して行ってました。
ある日、父の経営していた薬局にふらりと気功の先生が現れました。
その方は宇宙のパワーで、今までも沢山の難病患者を
助けてきたというのです。
初めは正直胡散臭い。。
と思っていたのですが、先生が父の喉に出来ていた癌に触れると、不思議と痛みが消えていくのです。
それからその先生は、度々父に宇宙のパワーを注ぎに来て下さいました。
私が先生にお会いした時、
『あなたにも僕と同じことが出来るよ』と、何やら呪文のような言葉を唱えた後、『あなたの力を目覚めさせたからね』、と言われました。
そしてお父さんを癒してあげなさい、と。。
その日からです。
手のひらに電気のようなぴりぴりとした感覚を感じるようになりました。
そしてあの子供の頃のような力が徐々に甦ってきたのです。
奇蹟やシンクロが次々起こり始め、不思議な方々との
出会いも急激に増え、私の毎日はいっきにスピリチュアル
なものに変わっていきました。
それからは人から相談を受けるようになりました。
それがいつの間にかカウンセリングのお仕事になっていき、
人を癒すたび、不思議な力も強くなっていったようです。
父の癌は、実は発見された時から、末期でした。
父はそれを私たち家族に黙っていたのです。
約半年間の闘病生活の後、早々と一人天国に旅立っていきました。
結局、宇宙のパワーを持ってしても父は救えなかった。。
そんな想いが私をむなしくさせました。
もう目に見えないものは信じられない、
やはり現実的に生きていこうと思ったりもしました。
けれど、振り返ってみると、確かに父は私たちにいくつもの奇蹟を見せてくれた。
それに父が癌にならなければ、私もスピリチュアルな世界に気が付くことはなかった。
そう考えると、やはり全てに意味があるのだと思えてきました。
父は私がステージに立って歌うことを、
ずっと夢見ていました。
最期までそれを願ってくれていた。
このことをきかっけに、私は、私の歌や詞を通して、
沢山の人と関わり、同じ思いをしている人たちの側に行きたいと、強く思うようになりました。
父と私の夢を叶えるためにも、今の生ぬるい環境にいてはダメだ。。
本当に伝えたいことを伝える場所は、自分で見つけなければ。。
そして、今までお世話になってきたレコード会社を辞めました。
それからすぐ、私はDRAWというプロジェクトチームと出会ったのです。
私はこれから、彼らと共に革命を起こそうとしています。
この先は、これから始まる物語。。
私たちは、一人でも多くの人が、目覚めることを祈っています。
長々読んで下さって、ありがとう。。
私のプチヒストリーをご紹介します!
そもそもこの不思議な力(スピリチュアルな力)
に気が付いたのは、まだ幼稚園に入る前の頃でした。
母いわく、ちょっと変わった子供だったようです。
例えば、トランプゲームをしている時、裏返しになっている
カードの表が全て浮き出て見えてしまったり、空気中に住んでいるお友達や、動物と話をしたり、地震がくる前になるとテーブルの下に隠れていたり・・・。
自分ではそれが当たり前のことだったのですが、
初めは面白がっていた両親も次第に心配になり、
私もそれを察してからは段々と力が閉じていきました。
ただ、人一倍怖がりで敏感すぎるところは変わらず、
幼稚園や小学校では登校拒否で、随分と両親を困らせた
みたい。。
しかしそんな私が中学卒業と共に、イギリスへ単身留学。
その理由は二つありました。
一つは日本の教育制度に疑問があり、将来はそれを改善する仕事をしたいと思ったので、まずは自分が海外で教育を受けてみたかったから。
もう一つは、歌や演技を英語で出来るようになりたかった
からです。
二つは全く違う夢でしたが、どちらにも興味がありました。
イギリスでは三年間普通の現地高に通い、
大学まで入ったのですが、結局大学一年目で中退して
日本に帰国。
どうしても音楽の道に行きたかったから。
そして日本での大学も就職先も決めないまま帰ってきたので、そこからはアルバイトをしながら歌える環境を探していました。
そんなある日、友人の紹介である作曲家さんと出会います。
彼はまだ無名の作曲家さんでしたが、初めて彼の曲を聴いた時、なんだか懐かしい気持ちになって涙が溢れ出しました。
この人と一緒に音楽をやったら、きっと素晴らしいものが出来るだろうと確信し、同時に彼も私の歌声を気に入ってくれたので、二人で楽曲制作を始めました。
そこからはトントン拍子で、たまたま某大手レコード会社に
デモテープを送ったことで、私たちの楽曲が採用され、
そのまますぐに契約になりました。
ただ、私はシンガーとしてではなく、作詞家として。
その時20歳だった私は年齢的に遅いということと、
まだいまいち可能性が分からないということで、
まずは作詞家として名前を売ってからということになった
のです。
初めのうちは表舞台で輝くアーティストさんがとても羨ましかった。
私がしたいことをしている訳だから。。
でもその方々をサポートさせてもらえることも、
したくても出来ない人だっているんだと父から言われた
のです。
私は恵まれていると思いました。
それからは気持ちを入れ替え、作詞のお仕事を頑張ることに決めました。
私は、ひたすら裏方に撤したのです。
けれどしばらくしてパートナーだったその作曲家さんとも一緒に仕事をする機会も減っていき、意見もすれ違うようになり、結局私たちは別々の道を歩み始めました。
そして月日は流れ、レコード会社と契約を交わしてから
約四年が経った頃、いつの間にかシンガーになるという夢を諦めかけていた私がいました。
そんな時、父が癌になりました。
まだ初期だから手術をしなくても、放射線で治療が出来る
ということだったので、その他にも自然治療を平行して行ってました。
ある日、父の経営していた薬局にふらりと気功の先生が現れました。
その方は宇宙のパワーで、今までも沢山の難病患者を
助けてきたというのです。
初めは正直胡散臭い。。
と思っていたのですが、先生が父の喉に出来ていた癌に触れると、不思議と痛みが消えていくのです。
それからその先生は、度々父に宇宙のパワーを注ぎに来て下さいました。
私が先生にお会いした時、
『あなたにも僕と同じことが出来るよ』と、何やら呪文のような言葉を唱えた後、『あなたの力を目覚めさせたからね』、と言われました。
そしてお父さんを癒してあげなさい、と。。
その日からです。
手のひらに電気のようなぴりぴりとした感覚を感じるようになりました。
そしてあの子供の頃のような力が徐々に甦ってきたのです。
奇蹟やシンクロが次々起こり始め、不思議な方々との
出会いも急激に増え、私の毎日はいっきにスピリチュアル
なものに変わっていきました。
それからは人から相談を受けるようになりました。
それがいつの間にかカウンセリングのお仕事になっていき、
人を癒すたび、不思議な力も強くなっていったようです。
父の癌は、実は発見された時から、末期でした。
父はそれを私たち家族に黙っていたのです。
約半年間の闘病生活の後、早々と一人天国に旅立っていきました。
結局、宇宙のパワーを持ってしても父は救えなかった。。
そんな想いが私をむなしくさせました。
もう目に見えないものは信じられない、
やはり現実的に生きていこうと思ったりもしました。
けれど、振り返ってみると、確かに父は私たちにいくつもの奇蹟を見せてくれた。
それに父が癌にならなければ、私もスピリチュアルな世界に気が付くことはなかった。
そう考えると、やはり全てに意味があるのだと思えてきました。
父は私がステージに立って歌うことを、
ずっと夢見ていました。
最期までそれを願ってくれていた。
このことをきかっけに、私は、私の歌や詞を通して、
沢山の人と関わり、同じ思いをしている人たちの側に行きたいと、強く思うようになりました。
父と私の夢を叶えるためにも、今の生ぬるい環境にいてはダメだ。。
本当に伝えたいことを伝える場所は、自分で見つけなければ。。
そして、今までお世話になってきたレコード会社を辞めました。
それからすぐ、私はDRAWというプロジェクトチームと出会ったのです。
私はこれから、彼らと共に革命を起こそうとしています。
この先は、これから始まる物語。。
私たちは、一人でも多くの人が、目覚めることを祈っています。
長々読んで下さって、ありがとう。。
コメントを投稿するにはAudioleafへログインしてください。