ってした事ありますか?
はい、ごっつ久々のKzでござーますだ、暑さの為頭がおかしくなったタイトルではありませぬ。
たまには何かまともに書きまする。
純粋に音楽で感動ってしたことないなーとふと思ったのね。映画、本、ドラマ(海外のしか見んけど)、とかは、あるっちゅーたらある、みたいな感じなのだがこと「音楽」によって感動した覚えって全然ない。
そこいらのミュージシャンと比べたら俺の聴いてる数なんてほんま、少ないんだが、音による感動もない。
ライブ行っても感動したことなんてない。そりゃね、めっちゃええやんけっ!!!ってなった事はあるが、感動ではないやん?俺の中で「感動」てのは「驚き」と「良さ」と「賞賛」が入り混じったもの。
食い物に例えるなら、うまい!!!!ってのを通り越してすっげーーーーー!!!!!ってやつ。はい、相変わらずよくわからん例えじゃね。「無鉄砲」のとんこつラーメン、あれは「感動」の部類に入るw
そうなのだ、ええなーーーと聴くし、ライブがあれば観に行ってた。が、何も残ってない。当然ライブ中はすごく楽しい思いをしてるはずなんだが、その場の一体感、みたいなのを楽しんでただけなのかも、と最近思う。
ドラマ、映画、は感動し易い。それは、人が感動するように作られてるから、だから感動するぞーーーと思って観る人達が素直に泣ける。これは何も馬鹿にしてるんじゃなくて作り手の素晴しさを物語る一説ではあると思う。だってどんなに悲しい話の映画でも、ひどい作品には感動できへんでしょ??例えば・・・やめとこw
感動するには、突然でなければ俺は嫌。準備段階があって、さー今から感動するぞーーーってのは、ある種の「わざとらしさ」がある。映画観てても、本読んでてもいきなり、感動してみたいのだ。そういう意味での感動ってのは、いかなる芸術作品に対しても覚えたことはない。皆、やはり準備段階ってのがあるような気がする。
では音楽における「感動の準備段階」とは・・・?
ない、と思う。絶対泣けるイントロ、みたいなんて使い古されてるし、皆耐性が出来てるので、音そのものだけでは感動しないはず。絵とか何かと一緒に音楽が来たら感動するやん?それも絵、や映像に依存してるとこ大きいと思うし。
CDを再生して、一撃でびっくりする(デスメタルとかじゃねーぞw)、何か張り詰めるものを感じ、自分の中の記憶とリンクさせる・・・そんな力を持った音ってのが理想。マイケルナイマンのピアノとかもすっごい良いしあれは感動の段階にあるのかもしれんが、映画音楽として最初から映像と一緒に聴いてしまったので、純粋な感動ではない、俺の中で。いや、でも素晴しいよ。
本当はもっと音楽で感動したいのだ。音楽だけじゃなくダンス等、ストーリーの付属として入ってくるものではない芸術に感動したいのだ。自らストーリーを具現化してるって事かな?そういう意味ではスポーツでも感動してみたいのかもしれん。サッカーすら見ないけど。
(あ、でもスポーツで感動を得るにはやはり自分でやるしかないかもな・・・。)
単に物語としてのストーリーがあると、準備段階が体の中で発生してしまい、感動の準備、を体が勝手に始めてしまうから。
音楽でもダンスでも、勿論ストーリーはあるだろう、ストーリーといっても一般的に言う、物語って括りだけではなく、背景が見えたり、表現者が何かを体現してるような事ね。そういう意味でのストーリーを持った芸術を体現できるようになりたいし、してる人を観てみたい。
例えば、ダンサーがいる、ステージに出て来て右足をスッっとあげただけでこっちが鳥肌を立ててしまうようなダンス、そんな物を見てみたいのだ。これは感動か恐怖のどっちかだろ?畏怖の念を抱くような物。それこそ真の芸術なんだと思う。
要は俺、感動に憧れてるんだと思う、と書くと血も涙もない悪魔のような人間に思うわれるかもしれんが、感動、してみたい。感動を求めて音楽をやってるのかもしれん、いや確実にそうだな、感動させたいし、勿論したい。自分の音楽で感動する人を見て感動したい、うん、たぶんこれだw
ステージに立ち、最初の一音で何かを具現化し、それと同じ(じゃなくてもいいけどねw、何かすっごいものを感じるって言い方が正しいし、フェアかな)イメージが客にも伝わり、鳥肌を立てて聴いてくれる。(決して室内の冷房が効きすぎてるわけじゃねーw)
そんなベーシストになりたいもんですな、ついでに唯一無二の存在にもなりたい。
まだまだ修行の日々は続くのです。
はい、ごっつ久々のKzでござーますだ、暑さの為頭がおかしくなったタイトルではありませぬ。
たまには何かまともに書きまする。
純粋に音楽で感動ってしたことないなーとふと思ったのね。映画、本、ドラマ(海外のしか見んけど)、とかは、あるっちゅーたらある、みたいな感じなのだがこと「音楽」によって感動した覚えって全然ない。
そこいらのミュージシャンと比べたら俺の聴いてる数なんてほんま、少ないんだが、音による感動もない。
ライブ行っても感動したことなんてない。そりゃね、めっちゃええやんけっ!!!ってなった事はあるが、感動ではないやん?俺の中で「感動」てのは「驚き」と「良さ」と「賞賛」が入り混じったもの。
食い物に例えるなら、うまい!!!!ってのを通り越してすっげーーーーー!!!!!ってやつ。はい、相変わらずよくわからん例えじゃね。「無鉄砲」のとんこつラーメン、あれは「感動」の部類に入るw
そうなのだ、ええなーーーと聴くし、ライブがあれば観に行ってた。が、何も残ってない。当然ライブ中はすごく楽しい思いをしてるはずなんだが、その場の一体感、みたいなのを楽しんでただけなのかも、と最近思う。
ドラマ、映画、は感動し易い。それは、人が感動するように作られてるから、だから感動するぞーーーと思って観る人達が素直に泣ける。これは何も馬鹿にしてるんじゃなくて作り手の素晴しさを物語る一説ではあると思う。だってどんなに悲しい話の映画でも、ひどい作品には感動できへんでしょ??例えば・・・やめとこw
感動するには、突然でなければ俺は嫌。準備段階があって、さー今から感動するぞーーーってのは、ある種の「わざとらしさ」がある。映画観てても、本読んでてもいきなり、感動してみたいのだ。そういう意味での感動ってのは、いかなる芸術作品に対しても覚えたことはない。皆、やはり準備段階ってのがあるような気がする。
では音楽における「感動の準備段階」とは・・・?
ない、と思う。絶対泣けるイントロ、みたいなんて使い古されてるし、皆耐性が出来てるので、音そのものだけでは感動しないはず。絵とか何かと一緒に音楽が来たら感動するやん?それも絵、や映像に依存してるとこ大きいと思うし。
CDを再生して、一撃でびっくりする(デスメタルとかじゃねーぞw)、何か張り詰めるものを感じ、自分の中の記憶とリンクさせる・・・そんな力を持った音ってのが理想。マイケルナイマンのピアノとかもすっごい良いしあれは感動の段階にあるのかもしれんが、映画音楽として最初から映像と一緒に聴いてしまったので、純粋な感動ではない、俺の中で。いや、でも素晴しいよ。
本当はもっと音楽で感動したいのだ。音楽だけじゃなくダンス等、ストーリーの付属として入ってくるものではない芸術に感動したいのだ。自らストーリーを具現化してるって事かな?そういう意味ではスポーツでも感動してみたいのかもしれん。サッカーすら見ないけど。
(あ、でもスポーツで感動を得るにはやはり自分でやるしかないかもな・・・。)
単に物語としてのストーリーがあると、準備段階が体の中で発生してしまい、感動の準備、を体が勝手に始めてしまうから。
音楽でもダンスでも、勿論ストーリーはあるだろう、ストーリーといっても一般的に言う、物語って括りだけではなく、背景が見えたり、表現者が何かを体現してるような事ね。そういう意味でのストーリーを持った芸術を体現できるようになりたいし、してる人を観てみたい。
例えば、ダンサーがいる、ステージに出て来て右足をスッっとあげただけでこっちが鳥肌を立ててしまうようなダンス、そんな物を見てみたいのだ。これは感動か恐怖のどっちかだろ?畏怖の念を抱くような物。それこそ真の芸術なんだと思う。
要は俺、感動に憧れてるんだと思う、と書くと血も涙もない悪魔のような人間に思うわれるかもしれんが、感動、してみたい。感動を求めて音楽をやってるのかもしれん、いや確実にそうだな、感動させたいし、勿論したい。自分の音楽で感動する人を見て感動したい、うん、たぶんこれだw
ステージに立ち、最初の一音で何かを具現化し、それと同じ(じゃなくてもいいけどねw、何かすっごいものを感じるって言い方が正しいし、フェアかな)イメージが客にも伝わり、鳥肌を立てて聴いてくれる。(決して室内の冷房が効きすぎてるわけじゃねーw)
そんなベーシストになりたいもんですな、ついでに唯一無二の存在にもなりたい。
まだまだ修行の日々は続くのです。
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